古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い悲しみや憎しみが、一線を越えてしまうことも──。

不動産業者などが発表する「住みたい街ランキング」の常連である人気住宅街。商業地でもあり、駅前は多くの人で賑わい、人通りが絶えない。
その一等地にある宝石店は間口こそ手狭だが奥行きがある。ショーケースがずらりと並ぶ店内に若いカップルが入店してはケースを指さし、微笑み合う。こんな平和な風景が暗転する事件がここで起きていたとは想像できるだろうか。
2020年3月の白昼、駅前の交番に41才の女性・吉田京子(仮名)が出頭した。警察官が女性の自宅に駆けつけると、血を流して倒れる13才の兄と10才の妹、変わり果てた2人の子供の姿があった。
「朝7時半頃、京子が寝ている子供たちの胸や首を包丁でそれぞれ複数回刺して殺害しました。京子はタイ国籍で、14年ほど前に家族で宝石店を営む一家の長男と国際結婚し、2人の子宝に恵まれました。夫の家業で従業員として勤務し、忙しい毎日を送る中での凶行でした」(全国紙社会部記者)
京子にいったい何があったのか。近隣の人たちに評判を聞くと、意外な反応が返ってきた。
「ご主人とは海外の宝石展示会で知り合ったそうです。とにかく忙しく働いていましたよ。いつも温和な笑顔を浮かべ、接客も上手でした。赤いスーツをきちんと着こなし、テキパキと仕事をしていたのが印象的です」
別の住民によれば、京子は首都バンコク出身で大学では英語を専攻。父親は警察官だったという。
異国で裕福な夫と結婚し、幸せをつかんだかに見えた京子の人生。だが実際は義母にパスポートを取り上げられ、帰省の自由もなく365日働かされていたという。仕事では義母から雑用の指図をされ、土下座させられることもしばしば。子供たちも義母に取り込まれた。子供たちは義母を「順子ママ」(仮名)と呼び、実の母親である京子の生活を事細かに報告していた。
事件の約4年前、夫が郊外の支店を任され、単身赴任となった。京子と子供がいる自宅に戻るのは年に1~2回ほどで、事実上の別居状態に。それが悪夢の始まりだったのかもしれない。
「事件の前年の夏、義母から離婚を求められています。事件の2日前には“ぐずぐずしていないで1か月以内にタイに帰りなさい”と言われ、子供を連れてタイに帰ろうと考えるも、日本生まれの子供たちは“残りたい”と抵抗したそうです。
裁判では、京子は事件の数年前から心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症し、感情が爆発して犯行に及んだとされています」(前出・全国紙社会部記者)
京子にとって日本は、言葉もままならない異国の地。離婚裁判をしても勝ち目はなく、親権も奪われてしまう。子供なしの生活など考えられない──八方塞がりの状況を悲観した彼女は、そうして凶行に及んだのだろう。
出頭の前、京子は近所のスーパーでカーネーションを購入した。兄には黄色、妹にはピンクのそれを亡きがらの傍らに供えたという。
※年齢は事件当時。
※女性セブン2025年10月30日号