ライフ

「常に過去ではなくいまを生きていた」長男が振り返る、藤村俊二さんの生き方への憧れと感謝「ただ“何も持たずに生まれて、何も持たずに死ぬ”を実践した人でした」 

2017年に他界した藤村俊二さん(右)と長男の亜実さん(左)
写真3枚

《この世でいちばん愉快なことは何かを持っていることではなく 何かを経験できる瞬間です。》──2017年に他界した藤村俊二さん(享年82)はこんなメモを残して旅立った。

 ダンディーかつひょうひょうとした振る舞いで「オヒョイさん」の愛称で親しまれた藤村さんは、“持たざる人”だった。晩年の藤村さんとともに暮らし、介護をした長男の亜実さん(59才)が振り返る。

「親父は物に対する欲や執着がなく、それより人生を楽しむ方が大事と考える人でした。ぼくはそういう自由な生き方に憧れました」(亜実さん・以下同)

 息子の言葉やメモの通り、藤村さんは物の価格に無頓着だった。

「ぼくが大学生の頃、実家にハードトップがついた古いベンツのオープンカーがありました。ある日、ハードトップを預けていたお店が丸ごと消えて行方しれずになったんです。でも親父は特に怒った様子もなく、すぐに代わりのハードトップを手に入れました。

 品物がいくらするかを考えない人で、経営していた東京・青山のワインバーでは出来上がったバーカウンターが気に入らず、わざわざイギリスに発注し直していました」

 藤村さんは自らの資産すら把握しておらず、常に現実を離れて漂っているような不思議な人でもあった。

「よくも悪くも現実に目を向けずに避けていて、お金や手続きなどの話にはほとんど関心を持ちませんでした。『オヒョイ』というあだ名の通り、自分が面倒だと思うところからヒョイッといなくなる人でしたね」

 藤村さんが生前に残したメモには、《反省も後悔もしていませんがゴメンナサイといつも思っています。》という一文もあった。

藤村さんが残した手書きメモ(提供/亜実さん)
写真3枚

「反省や後悔は過去を振り返ることですが、親父は常に過去ではなく“いま”を生きていました。あれこれ考えて落ち込むことが嫌いで、“いま”を生きることがうまかった。“人と比べることは不幸の始まり”ともよく口にして、他人だけでなく過去の自分と現在の自分を比べることもしなかった。晩年は目や耳の衰えまで武器にして、年を取ることを楽しんでいました」

 2015年に自宅で倒れて、1年余りの闘病を経てこの世を去ったが、残した遺産はほぼ皆無だった。

「親父は亡くなる3年前に離婚し、そこでほぼすべての資産を失っていました。亡くなる際に持っていたのは年金の通帳だけで、それもおもしろ半分に貯めていたのかもしれません。

 医療保険にも加入していなかったけれど借金はなかったのだから立派なもので、お金の面はちょうど間に合いました」

 自由気ままに生きて財産を残さず旅立った藤村さんが、生前に唯一望んだのは「散骨」だった。

「お墓も自分で用意してなかったけど、お骨をエジプトの砂漠にまくことは望んでいました。海に散骨すると白い粉が波に漂うのが嫌だけど、砂漠ならまいた途端に砂と混ざってわからなくなるからいいと。みっともないことを嫌う親父の美学でした。結局、親父が死んでから親族で話し合い、記念碑を建てて半分納骨しました。もう半分はいつかエジプトにまくかもしれません」

 まさにひょうひょうと人生を終えた父親について息子はこう語る。

「親父は人生を逆算してゼロにすることを念頭にしたのではなく、計画的に生きたわけでもなかった。ただ“人は何も持たず生まれて、何も持たず死ぬ”を実践した人でした。そんな生き方と思い出を残した親父には、感謝しかありません。

 また葬儀は厚意で東京・渋谷の長泉寺で執り行い、食事もメーカーに提供してもらうなど、多くのかたの力を借りました。その恩にも感謝しています」

【プロフィール】
藤村亜実(ふじむら・あみ)/1990年に成城大学を卒業後、アメリカに留学。1993年に永住権を取得後、ロサンゼルスを拠点にCM制作などを手がける。2005年に帰国してからは父・藤村俊二さんの晩年のマネジャーを務める。

女性セブン2025111320日号

藤村さんが残したメモを亜実さんは大切に残している(提供/亜実さん)
写真3枚
関連キーワード