エンタメ

アンミカ&ピアニスト・清塚信也、保守的な世界で闘った2人の共通点 ”信じる道を貫き、その世界の常識を変えてきた”

アンミカ&ピアニスト・清塚信也
アンミカさん&ピアニスト・清塚信也さん(撮影/田中麻以)
写真3枚

モデル・俳優のアンミカさんが「ずっと会いたかった人」をゲストに招き、軽やかに奥深く人生を語らう注目連載「アンミカのカラフル幸福論」(女性セブン掲載)。今回のゲストはピアニストの清塚信也さんです。

「清塚くんはピアノも話術も超一級♡ われわれ2人ともおしゃべりですが、クラシック界もモデル界も、自身を語ることは御法度の世界でした。そのタブーにどう立ち向かい、いまがあるのか。“笑いの陰に涙あり”のお互いの歩みを、明るく語り合いましょう」(アンミカさん)

清塚くんのコンサートは音楽への新しい扉を開いてくれる

アンミカ:私にとって、クラシック界の方で、初めて自宅に来てくれた友人が清塚くん。才能に溢れた人たちとお話しすると刺激をたくさんいただけるので、仲よくなれてとてもうれしかったな~。

清塚:数年前の『オールスター感謝祭』(TBS系)での共演がきっかけですよね。

アンミカ:親戚くらいの温度感でしゃべりかけてくださるから、すぐ意気投合しちゃいました。共演前からイケメンでユーモアあるかただなぁという印象だったけど、想像以上に気さくなかたでした。

清塚:近しい距離感で声をかけられたのは、アンミカさんが相手を受け入れるのがお上手だったからですよ。

アンミカ:お互い似ている空気を放出しているんだと思う。

ホームパーティーに初めて来てくださったときも、スススッと溶け込んで、気がついたら、佐々木健介さんにラリアットされてましたね(笑い)。

清塚:人生で一度くらいされてみたいじゃん! 勇気を出してラリアットしてほしいとお願いしたら、優しくパンって当てられただけで、ボフッて吹っ飛びました。

アンミカ:中学生みたいな絡み方! でも清塚くんらしくて素敵。

清塚:主催のアンミカ夫妻の空気がみんなをそうさせるんですよ。夏に開いてくださったホームパーティーでは、玄関を開けたら「ようこそ~! ハッピー、ラッキー、ラブ…」ってヒマワリの被りものをしたふたりに迎えられて。

アンミカ:チューしながらね。

清塚:みんなで「一回閉めようか」となりました。

アンミカ:引かれるのには慣れています(笑い)。清塚くんは、コンサートでのトークも本当に面白くて、現在開催中の47都道府県ツアーに行かせていただいたときも、ドッカンドッカン笑いが起きていました。クラシック界のさだまさしさん!

アンミカ
アンミカさん(撮影/田中麻以)
写真3枚

清塚:どこにいてもしゃべってばかりなんですよ。去年、ツアーで滋賀県に行った際に、オフで長浜城を訪れて天守閣を登っていたら、途中で2人組の女性とすれ違ったんです。目が合った瞬間“ハッ”みたいな反応だったから、気づかれちゃったなあとニヤニヤしていたら、「ほら、あの、ね…?」とひそひそし始めて「あのほら、しゃべりが面白い人!」って。

アンミカ:あははは。すっかりその認識で皆さんに広まっている。

清塚:私の名前もピアノというワードも全然出てこない(笑い)。

「間違えたら全滅よ」と送り出される日々

アンミカ:昔からおしゃべり好きな子だったんですか?

清塚:まったく逆です。話すのがすっごく苦手な子供だったんですよ。学校にちゃんと行かせてもらえてなかったので、友人とのコミュニケーションを学べずに育った影響が大きいかもしれません。

アンミカ:どういうこと!?

清塚:母の教育方針で、小中学生の9年間で一度も友達と外で遊んだことがなかったんです。「ピアニストになるために生きなさい。音楽に必要ない漢字も計算も、全部雑念だと思ってください」と叩き込まれて育ち、ほとんど学校に行けませんでした。

アンミカ:かなり振り切っていらっしゃる…。お母さまも音楽家でいらっしゃるんですか?

清塚:母は音感がまったくないんです。ピアノの鍵盤でどこに「ド」があるかもわかっていないし、カラオケでは前奏から歌い始めちゃう。端的に言うと音楽センスはゼロな人ですね。

アンミカ:それは意外。てっきりお母さまも音楽人だから厳しいのかと思いました。

清塚:母は本当は音楽の世界で生きたかったようなんです。その夢を子供に託していて、「自分がこんなにもやりたかったことをやらせてもらえて、子供たちはなんて幸せなんだ」と考えていたみたいです。

アンミカ:プレッシャーに押しつぶされてしまう子もいるだろうけど、清塚くんはお母さまの言葉どおりに突き進めたんですか?

清塚:当時はそうは思えなかったかな。友達とも普通に遊びたかったし。でも、母の監視がすごかったんですよ。母子家庭だったのに、「大人が居なくなると子供はさぼるから、私は働きません」って言ってずっと近くに居るんです。

アンミカ:えっ…。失礼ですけど生活はどうされていたの?

清塚:貯金を食いつぶすしかないですよね。母は姉と私に向かって「あなたか、あなた。もしくはどちらも20才までに家計を支えられるようでないと、私たち一家は全滅です」と宣言したんですよ。全滅ってドラゴンクエスト以外で聞いたことない(笑い)。コンクールで舞台裏から私を送り出すときも「いい? 間違えたら全滅よ」ですから。

アンミカ:いまの、ほめて育てる教育法とは真逆のスパルタ方式。へこたれない性格でよかった。

清塚:私の前に弾いた子が、間違えて泣きながらお母さんに抱きついて「いいのよ、来年頑張れば」とやさしい言葉をかけられているのを横目に、「あの家がいい! こっちは全滅だぞ!」って思いながらステージに向かっていました。つらかったけど、所沢(埼玉県)育ちの西武ライオンズファンだったことで、へこたれない根性というか、スポーツマンスピリットが培われたのが功を奏して、なんとか耐えられました。

アンミカ:厳しく育てられた清塚くんも、いまや2人の娘さんの父でもいらっしゃいますよね。とっても愛妻家だし。娘さんたちもピアノを弾いているんですか。

清塚:はい、遊び程度ですけど。

アンミカ:監視せず、親子で一緒に音楽を楽しみながら。

清塚:そうです。先日、舞台からの景色を娘に見せたくて開場前にサントリーホールの舞台上にあげたら、「パパ、ここにいまからお客さんが入るの?」と次女が聞いてきたんです。私が得意げに「そうだよ、パパかっこいいだろ」と言ったら、「罰ゲームじゃん」だって。「めっちゃ恥ずいんだけど。絶対にいや!」だそうです(笑い)。

アンミカ:パパに似てユーモアのある子! のびのび育ってかわいらしいです。

保守的な世界で闘った2人の共通点 お客さんの“?”を取り除いて音楽を楽しめる空気をつくりたい

アンミカ:それにしても清塚くんの幼少期には、衝撃を受けました。明るさの裏には隠れた苦悩があるんですね。それでいうと、たくさんトークするコンサートのスタイルも、確立されるまでは周囲からの風当たりも強かったりしました? 苦労されたんじゃないかしら。

清塚:かなり叱られましたね。関係者からは面と向かって、「次やったら干すからね」って言われたこともありました。

アンミカ:ものすごい直接的!

清塚:クラシックの公演で演奏者が話すのはそれくらいタブーだったんですよ。もともとは高校時代に演奏前の曲紹介として始めたんです。コンクールで弾く曲って審査員ウケを狙うから玄人好みの曲が多くて。ショパンの『別れの曲』や『ノクターン』が聴けるかなと期待して集まってくれたお客さんに、ショパンの超マイナーな曲を聴かせるわけですから、いざ演奏が始まると、お客さんの頭の上にどんどん“???”が広がるんです。

アンミカ:お客さんの反応って敏感に察知できるんですね。

清塚:ものすごく感じますよ。これまで血のにじむような努力でやってきたのに、戸惑いの空気で満たされるのがとても悔しくて。そこで、「ショパンが革命から逃れ、すごく絶望しているときに作った曲なんです」と一言添えてから演奏を始めると、“?”が広がらずに、純粋に音楽を楽しんでくれたんです。これがきっかけで、気づいたら「尺の半分以上がトーク」というコンサートへと成長していきました(笑い)。

清塚信也
清塚信也さん(撮影/田中麻以)
写真3枚

アンミカ:あははは。でも本当に清塚くんのコンサートは楽しいだけでなく、音楽への新しい扉を開いてくれる。清塚くんの目線を通した解説を聞くことで、曲の聞こえ方が変わるんです。曲への親しみや理解が深まって、忘れられない演奏会になりました。

清塚:とてもうれしい感想です。たしかに解説なしに1音目の音で、ショパンがどう考えていたか伝えられることが、最大の美徳なんですよ。その考えは私自身もよくわかります。ただ時代背景や当時のヨーロッパの風習、土地柄などまでは、さすがに音だけでは伝わらないんじゃないかとも思うんです。

いまじゃ当たり前に演奏前に挨拶してもよくなりましたが、本当に最近のことです。周りも解説を始めたことで、ほかの人に負けたくなくて、拍手より笑いをとるピアニストへと変貌を遂げたのです。

アンミカ:清塚くんはパイオニアですね。私もこんなにおしゃべりですけど、昔はショーモデルがしゃべるなんてタブーだったんです。ショーでは1枚の服に込められたメッセージを背負って、黙って動くマネキンになることが絶対的に求められていました。神秘性や透明感が命で、情報量が多いモデルは嫌われる。極端な話、結婚を公表したモデルは生活感が出るといわれて仕事が減る。そんな時代に大阪のテレビ番組で人生相談に乗り始めたものだから、もう大変。

清塚:地元だし、とにかくアンミカさんの素が出ちゃう。

アンミカ:そうなんです。親身になって聞こうとすれば、自分の苦労なり素性なりを明かしながら話を聞きますし、そのぶん感情も出てしまう。それを嫌がった何人かのデザイナーのショーに出られなくなりました。ショックでしたが、ショーモデルが話をする時代じゃなかったですからね。

清塚:モデルさんの背景も、演奏前の解説も余計なものになってしまうのは理解できます。その上で信じる道を貫き、その世界の常識を変えることをわれわれはやってきた。

アンミカ:そうするうちにまた違う自己表現の場も得られたりしますしね。とはいえ、非常に保守的なクラシックの世界で信念を貫き通すのは並大抵ではなかったと察します。お母さまは、新たな道を切り開く清塚くんの姿勢に反対しなかったんですか?

清塚:王道のクラシックピアニストになってほしかったとは言われ続けましたよ。オリジナル曲を売り出そうとしていた20才の誕生日の朝5時くらいですかね。自分の曲の営業に行こうとしたら、母親が玄関前に立っていて。11月の薄暗いなか、逆光でシルエット姿になった母が怒っているんですよ。

アンミカ:怖い怖い怖い!

清塚:「私を倒してから行きなさい」みたいな感じで(笑い)。大げんかをしましたし、ずっと猛反対していましたね。それはつらかったな。道なき道を進む感覚でした。

アンミカ:そのときの頑張りが、いまの幅広い活躍につながっているわけですもんね。お母さまは、いまのスタイルでの活躍を喜ばれているんですか?

清塚:2017年の『情熱大陸』(TBS系)で、テレビに出るような活躍をする私について母が「まぁ想定内ですね」とサラッとコメントしていて、「おいおいおい!」とはなりました。

アンミカ:ドシッとなさってる! でもどこかで信じてたんですよね。

清塚:そうだと思います。外へ行かせたってことは、帰ってきたらご飯作って待ってるね、ということなんです。

アンミカ:いろいろな過去を経て、耐えて耐えて花開いた親子の絆があるんだろうなと思います。

※次回、後編へ続く

清塚信也さんのHLLSPD

清塚さんに、Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamについて答えてもらいました。今回はHappy、Lucky、Loveについて直撃!

Happy:何をしているときが幸せですか?

人とつながっているとき。音楽もそのためのツール。

Lucky:最近小さなことでも「ラッキー!」と思ったことは?

滋賀県で強風が原因でフェリーが出ず、目的地に行けなかったけど、代わりに蒸留所でおいしいウイスキーに出会えた。

Love:あなたが好きな言葉は?

mƒ(メゾフォルテ)。やや強くという意味の音楽用語で、品があって好き。

ロシアでの留学経験から華麗なる芸能人脈まで、後編も内容ぎっしりでお届けします!

◆モデル・俳優・アン ミカ

アンミカ/1972年生まれ。1993年パリコレ初参加。モデル業以外にもテレビ・ラジオMC、俳優、歌手、テレビCM出演と多彩に活躍。「日本化粧品検定1級」など20個以上の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。

◆ピアニスト・清塚信也

きよづか しんや/1982年生まれ。5才からクラシックピアノの英才教育を受け、国内外のコンクールで数々の賞を受賞。映画・ドラマ・バラエティーでも幅広く活躍している。映画『ただいまって言える場所』では主題歌を作曲・編曲。現在、47都道府県ツアーを開催中。

構成:渡部美也 衣装:ワンピース/LEONARD ネックレス、ピアス/ともにアビステ(アンミカさん)

※女性セブン2026年3月12日号