
浪速高校ボクシング部で頭角を現し、近畿大学在学中に学生プロボクサーに転向した赤井英和さん(66才)。「浪速のロッキー」と呼ばれた赤井さんが、23才のときに知人の社長の紹介で出会ったのが歌舞伎役者の坂東玉三郎(75才)だ。
「『ちょっとキミ、一緒に行こう』と玉三郎さんに連れられて写真家の篠山紀信さん(享年83)のところに行き、訳もわからんまま写真を撮ってもらいました。後で聞いたら玉三郎さんは『この子はいずれ芸能界に来るから、現役ボクサー時代の美しい姿を撮っておくべきだ』と思ったそうです。篠山さんは最初『この子、知らないから嫌』と断ったけど、玉三郎さんが『いいから撮りなさいよ』と言って撮影してもらえたそうです」(赤井さん・以下同)
のちに人間国宝となる玉三郎の“予言”通り、芸能界に入ることになるが、その道には紆余曲折があった。
底知れぬ強さと大阪人らしいユーモアで人気を博した赤井さんは、最初の世界タイトルマッチでTKO負けし、専属トレーナーとともに再起を期す。
だが、2度目の世界戦の前哨戦で思いもよらぬ悲劇が待っていた。
「試合中の事故で意識を失い、急性硬膜下血腫と脳挫傷と診断されて大阪市内の病院で開頭手術を受けました。アマ時代もプロ時代も自分の試合を全部覚えているけど、あの試合だけはまったく記憶がありません」

何とか一命をとりとめて、1か月の入院を経て退院したが、もうボクシングは続けられない。現役を引退して何もすることがなくなり、ふと訪れたのが、わずかな交流があった笑福亭鶴瓶(74才)のもとだった。
「お前の人生おもろいから、本書いたらどうや」
高校の先輩でもある鶴瓶からかけられたこの言葉が、赤井さんの人生を変えた。
「小学生以来、鉛筆なんて握ってなかったから驚きました(笑い)。出版社も紹介してくださって、書いた本が『どついたるねん』です。当時は助監督だった阪本順治さん(67才)が映画化してくださることになり、数年後、ぼくは主役で俳優デビューしました。芝居のことはようわからず10kg以上減量したけど、ここで命を懸けないとあとがないと“必死のパッチ(死に物狂い)”で挑みました」
映画は大成功を収めた。以降、味のある俳優、タレントとして活躍する赤井さんは自分を支えてくれた人との出会いに感謝する。
「いまのぼくがあるのは鶴瓶師匠のおかげです。また、玉三郎さんがいたから撮ってもらえた篠山先生の写真は、息子の英五郎が制作したドキュメンタリー映画『AKAI』のポスターになりました。
高校時代にけんかして退学しそうになったぼくを止めてくれた顧問の先生や、玉三郎さんや鶴瓶師匠に会うきっかけとなった社長にも感謝です。たくさんの人が右も左もわからない自分に力を貸してくれたので、今度はぼくが後輩などに返していきたいですね」
※女性セブン2026年4月16・23日号