
「17年間の子育ては、戻りたくても戻れないかけがえのない時間」と振り返る薄井シンシアさん(64歳)は、17年間専業主婦をした後、娘の大学入学とともに再就職。47歳のとき、バンコクの食堂のパートに採用されて以降、転職を重ねて、現在は外資系企業に勤めています。子育ての経験は、どのように役立っているのでしょうか。たっぷりと聞きました。
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1日は24時間しかないから段取りが大事
私はお金も時間も無駄が嫌いです。1日は24時間しかないから、何をするときも段取りを考えます。子育て中もスケジュール管理をしていました。
あるとき、娘がアフタースクールへ通いたがりました。そのときは、娘と一緒に座って娘の1日のスケジュールを書き出しました。「あなたの寝る時間は21時だよね」「学校から帰ってくるのは14時だから21時までには7時間ある。この7時間ですることをすべて書き出してみて」と細かく聴き出す。
そうすると、娘は1日のスケジュールをはっきりと認識します。アフタースクールに通うと帰宅は17時。17時からベッドに入る21時までには4時間しかありません。その中でお風呂に入って、食事もする。「それ以外に何ができるの?」「毎日17時に帰宅したら、一週間でできることは何?」と具体的に詰めたら、娘はアフタースクールを断念しました。
説明はシンプルに順を追って要点を伝える
娘には、幼い頃から物事をわかりやすく説明する訓練もしてきました。わざわざ複雑な説明をする必要はありません。順を追って、ワンツースリーで要点を伝えることが大事。「他人がわかるように説明して」「説明はシンプルにね」と言い続けました。

例えば、「駅から自宅までは、どうやって行くの?」「それは、どこから数えて何番目の信号?」「どこで左折するの?」と問いかければ具体的な説明方法を学びます。
大人でも、道に迷って店に電話で道順を聞くことがあるでしょう? そのときに道順を簡潔に説明できない人が意外と多い。目印のファミリーマートを挙げて、「ファミリーマートを右手に見て、真っすぐ進んでください」と言えばいいのに、目印がわからない。普段から周りを注意して見ていないのでしょうね。
私は娘に「なるべく周囲に注意を払ってね。相手にイメージを伝えるときは、それを聞いた人も自分と同じ絵を描けるように明確に伝えてね」と教えてきました。
「ニューヨークにはホテルがいくつあると思っているの?」
娘は大人になってから、よく「プレゼンを褒められるのはママのお陰」と言います。毎日、さまざまな説明を求めてきたから他人に物事を説明するのが上手になったのかもしれませんね。具体的な説明が得意だから弁護士になったのかもしれません。
例えば、私が娘の住むニューヨークへ遊びに行くとします。娘から「ニューヨークのどこに泊まるの?」と聞かれて、私がただ「ホテル」とだけ答えたら、「ニューヨークにホテルはいくつあると思ってるの? 場所を説明するなら、どことどこの間にあるホテルか、具体的に説明して」と言われます。最近は私のほうが、説明の仕方が悪いと責められるようになりました。
子育てで最も役に立ったのはリスニング能力
子育ての経験が一番役に立ったのは、人の話を聞く能力です。私は娘の話をいつも真剣に聞いていました。作業をしながらではなく、正面を向いて注意深く聴く。このリスニングスキルのお陰で、仕事を再開してからも相手の要望を先入観を持たずに把握できるようになりました。

同僚から得た情報をつなげれば、お客さまが本音ベースで求めていることが見えることもあります。これは娘を常に観察して、じっくりと話を聴いた経験が役立っていると感じます。
「魚の寿司」は私の固定観念
例えば、バンコクの学食に勤めていたとき、「お寿司」というヒット商品を生み出したのも、その一例です。小学校高学年の子供たちから、ずっと「お寿司を食べたい」と言われていたけれど、私は刺身を扱うのは衛生的に無理だと思っていました。
でも子供たちに「どんなお寿司が好きなの?」とたずねるうちに、ほとんどの子どもは、かっぱ巻きや卵が食べたいのだと気づいたのです。ああ、そうか。子どもたちが考える寿司は、魚の寿司ではないんだ。それなら食堂でも提供できるかもしれない。「お寿司は生魚」という考えは私の固定観念だと気づきました。

そう考えていたとき、偶然にもNYへ向かう飛行機の中で、コンビニで販売されているような包装の巻き寿司が提供されました。私は「これだ!」と思って、寿司のビニール袋をそのままバンコクに持ち帰り、食材屋さんに渡して「このパッケージを使った巻きずしを〇〇円ぐらいで開発してよ」とお願いしました。
娘と一生懸命に宗教の勉強をした
娘が小学6年生のときはオーストリアのウィーンに住んでいました。学校の宗教の授業で、それぞれの宗教家に扮した劇をすることになり、娘は先生から「アクバル」という役をもらいました。アクバルは、どの宗教にも属さず、それぞれの宗教家に質問をする役です。
ある日、帰宅した娘が「『アクバルは担当がないから勉強しなくていい。ずるい』と言われた」と話しました。私はすぐに「それは違う。アクバルが一番難しいんだよ。みんなによい質問をするには、すべての宗教の勉強をしなくちゃいけないからね」と答えて、娘と一生懸命に宗教の勉強をしました。娘がどのぐらい宗教を理解しているのかや、授業の意図を把握していたからこそ出た言葉だと思います。劇は成功しました。
◆薄井シンシアさん

1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う高校のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラに入社し、オリンピックホスピタリティー担当に就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。2022年11月、外資系IT企業に入社し、イベントマネジャーとして活躍中。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia
撮影/小山志麻 構成/藤森かもめ
●薄井シンシアさん、新型コロナ拡大の影響で失職し、スーパーのレジ打ちに つねに前向きでいられたワケ