作品を牽引する俳優・松岡茉優という存在
好評のうち、9月に放送が終了したドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(日本テレビ系)での好演が多くの視聴者に鮮明な印象を与えた松岡さん。まだ20代でありながら、あちらの作品では30人もの若手俳優たちを主演として率いてみせていました。
今作は人数こそ多くはないものの、彼女が相手にするのは一人ひとりが日本が誇る演技巧者です。けれどもやはり、子役からの豊富なキャリアに裏打ちされた技は熟練の域に達していると感じさせるほどのもの。胆大心小なパフォーマンスを展開させては折村家だけでなく、作品そのものを牽引してみせています。
思い返せば松岡さんは、2019年公開の『ひとよ』(2019年)でも、母親役である田中裕子さんを中心に、佐藤健さん、鈴木亮平さんらと家族を演じていました。あれから早4年。もちろん演じる役は違うわけですが、それでもこの同じく家族の肖像を描いた作品をとおして、彼女の俳優としての進化/深化ぶりを堪能できることでしょう。
演技の転調ぶりが凄まじい……
本作における松岡さんの演技の特筆すべきところは、その転調ぶりにあります。
映画の前半では、正夫との出会いと花子の挫折が描かれます。そこで松岡さんが体現するのは、特別な存在を前にした1人の女性の姿であり、社会の理不尽に押し潰されそうな若者の実像です。
抑制の効いた等身大の演技は、彼女と同世代の人々にとっては鏡のようでしょう。それはこの社会とどうにか折り合いをつけていこうとする生活者の姿でもあります。
けれども映画の後半では、その印象がまるで変わります。
彼女が目の前にしているのは社会ではなく、ほとんど絶縁状態にあった家族。獰猛で冷徹な獣のような存在として、花子は家族に揺さぶりをかけます。けれどもそれは追い詰められて彼女の“人が変わってしまった”というよりも、肉親を前にしているからこその剥き出しの姿のように思えます。
これもまたリアル。映画の前半での松岡さんは感情を平坦なものとしてコントロールし、後半ではそこから解放され自由に乱れていくさまを表現しています。この変わりぶりは共演者の存在や石井監督の演出あってのものなのでしょうが、やはり彼女の“技巧”あってこそのもののように思います。
社会の理不尽にどう立ち向かっていけばいいのか
花子たちの生きる社会と同じように、私たちの社会にもコロナ禍がやってきて、多くのかたが理不尽な仕打ちを受けたことと思います。筆者もその1人です。というか、何の仕打ちも受けなかったという人はいないのではないでしょうか。この社会で生きている以上は。
この映画では各々のキャラクターが、それぞれに信じられる存在を見つけます。言い換えるならばそれは、心の拠り所となるような存在。
自分たちなりの連帯の仕方で、自分たちなりの共闘をしていけばいいのではないでしょうか。手を取り合う仲間は家族なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
あなたはどうでしょうか。筆者には数人、いますぐに思っていることをぶつけたい(=聞いてほしい)存在が浮かびました。
◆文筆家・折田侑駿さん
1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun