
ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)は昨年10月、「卵巣がんの疑い」で手術を経験。その後、境界悪性腫瘍と診断された。それから1年2か月、体調に変化はなかったが先日の定期検診で、今度は膵臓に「のう胞」が見つかった。
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「境界悪性腫瘍」診断のモヤモヤ
「半年前に撮ったCTに6mmの膵のう胞がひとつ見つかりました」と、大学病院で言われたと前回、ここで書いた。そもそもこの病院は1年前の秋に「卵巣がんの疑い」で入院、手術をしたところだ。この時の最初の見立ては「ごく初期の卵巣がんかも」ということだったけれど、本当のところは「卵巣を手術して取り出して、細胞検査をしないとわかりません」。

で、手術して細胞検査をした結果は「境界悪性腫瘍」という微妙なもの。担当医は「“がんの教科書”に載っているのでがんの一種です」というけれど、長年かけていたがん保険は下りないというの。どうして?と聞いたら「約款に書いてある通り、がんとも良性のどちらともいえないというのが保険業界の見解でして」と、ここまではわかる。でも保険がおりないということは「がんではない」というほうに針が振れているのかと思いきや、「境界悪性腫瘍」という診断を受けたら新たにがん保険に入れないそうな。
「どっちやねん!」
この1年間、そのモヤモヤが晴れないまま、3度の定期検診を受けたら、お腹に一文字の傷があるものの、3回ともセーフ。なのに今度は膵臓にのう胞だって。「のう胞ってがんではないんですか?」と聞くと「がんではありません」と婦人科の担当医はキッパリ。「ほんとうにがんではないんですね」「違います」というやり取りを何度かした記憶があるけれど、頭に血がのぼっていたのね。よく覚えていないんだわ。
「膵のう胞がある」と言われて足元がぐらついた
ご存じの人も多いと思うけれど、膵臓がんは発病したら5年生存率の最も低いがんだ。現に昨年の秋、私と同じタイミングで入院した親友のF子は膵臓がんと診断された2か月後にこの世から旅立っている。もっともF子の死因はコロナの院内感染だそうだからちゃんと治療ができたらこんなに早く亡くならなかったのかなと思ったりするんだけどね。

それにしても病名って不思議。だってそれを聞くまでは私は“病人”ではなかったんだよ。検診の11日前には東京の有楽町駅前の国際フォーラムで行われた全国矯正展(全国刑務所作業製品展示即売会)で、こんな写真を撮っている。数年前に雑誌の企画で埼玉県の陸上自衛隊の朝霞駐屯地に行き、“自衛隊体操”を習ったことがある私。“陸自バイク”を見たら乗りたくてたまらなくなったの。

それがよ。「膵のう胞がある」と言われたとたん、足元がぐらついたというか、今日の続きで明日が来るけど、来年はどう? もし来年はなんとかなっても再来年は? 急に先行きが暗いような気がしてきた。で、この1週間、ネットで膵のう胞のことを調べてみたら、前回の“卵巣がんの疑い騒動”とよく似ているんだよね。
医者のいうことはわかんない?
膵のう胞は膵臓にできた“のう胞”、つまりイボみたいなもので、そのイボもタチの良し悪しがある。たいがいは良しだけど、ごくまれに悪しもある。今は良しだけど、やがて悪しになるものもあるから定期的に検査しましょうと、こういうワケよ。
というと、なんとなく“楽勝”みたいだけど、がんを発病して20年近い御年91歳のボーイフレンドは「医者の言うことはわかんないからなぁ。あんまり楽観しないほうがいいよ」と脅かすんだわ。そう言われたら、今のところ“膵のう胞”が大学病院の見立てだけど、見立て違いで、がん、という可能性がないわけではない…ような。

そんなことを考えていたら、先日、古いライター仲間のМさん(58歳)と久しぶりに会ったら、前回の記事を読んでくれたのね。会うなり、「のう胞? ぜんぜん関係ないよ。私なんか数年前の人間ドックで肝臓に14個ののう胞が見つかったんだよ。その時はちょっと心配したけど、次の検査のときに看護師さんが『大きくなってないし大丈夫。のう胞は知らないだけで年をとるとたいがいの人ができてるから』と言ってくれたの」と言うのよ。
検査をしたら「膵のう胞じゃなかった」友人も
もうひとり、同い年の元イケメンのHさん(66歳)とランチをしたら、「数年前にオレも膵のう胞があると言われたよ。でも検査したらCTの画像がそう見えただけで、のう胞でもなんでもなかったの。でもハッキリするまではイヤな気持ちだよね」と気遣ってくれた。
ふたりと話して、“のう胞は珍しくない”とわかっただけで、ちょっと気が落ち着くんだよね。
そうそう。「医者にはかかるな」という考え方があるじゃない? 医者不信というか、日本の医療制度がけしからんと怒っている人たちよ。でもそれって、もとから体力に自信があって規則正しい生活をずっとしてきた人にだけ許されることだと思うんだわ。
自称ギャンブル依存症&原稿締め切りで徹夜、徹夜をしてきた、30~40代。不摂生の限りをつくしてきた私は、検査をしないなんて道はないのよ。検査して何か見つかって、治療するか、経過観察するか。まぁ、今どきの精密な検査機器にかかったら、何か出てきて当然な気もするし。ただ、その“何か”が何かが問題なんだけど、今、気をもんでも答えがすぐ出るわけじゃない。ああ、もう、やめたやめた。半月後の検査日になるまで、考えるの、やーめた。
そうこうしている間に日が暮れて夜が明ける。クリスマスは神宮前の友だちの家でお茶をしたあと、久しぶりに表参道を散歩した。

でね。実は先日からまとまったものを書き始めていて、家から40分歩いて東京駅が見えるネットカフェのある『丸善の3階』に通っているのよ。人の気配があるけど静かで、眺望も最高。この環境で、今、やれることは今やる。2024年は捨て活も仕事もガチで行くわよ。
みなさん、良いお年を。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
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