
「卵巣がんの疑い」で10月初めに手術を受けた、ライター歴40年を超えるベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)。12日間の入院生活を終えて退院したが、最終的な診断結果はまだ出ていなかった。そしてその日、緊張しながら診察室のドアを開けると、担当医が告げたのは――。
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「で、結局どうなったの?」
今年の夏の初めから少しずつ膨らんできたお腹が8月になっていよいよ見過ごせないほどになり、重い腰をあげて区の検診に行ったら「卵巣が12cmに腫れています」と言われた。それから婦人科の専門病院に行って、そのあと大学病院で精密検査をしたら「卵巣がんの疑い」。その疑いを晴らすために6時間に及ぶ手術をして、その結果は?

いつまでも「卵巣がんの疑い」と書いている私に、「で、結局どうなったの?」と個人的にも聞かれることが多くなった。
「それがまだ…」と口ごもると、「引っ張るねぇ」と、まるで私が何かを隠しているかのような、疑いのマナコを向けられるようになった。疑いのマナコと言ってもちっとも痩せない私の体形を見て、重篤な病を隠しているというのではなさそうだ。なら、なんでちゃんと「良性の腫瘍でした」と言わない?という疑い。
腫瘍が良性か悪性かはすぐにはわからない
だけど卵巣にできた腫瘍が良性か悪性かは、開腹手術をしてもすぐにはわからなくて、正式に結果が出るまでに2段階あるのよ。
私の場合は「境界悪性の可能性が高い」というのが、手術中の迅速病理診断の結果だったの。迅速病理診断というのは、手術中に取り出した卵巣を急いで検査室に運んで顕微鏡で見て、手術でどこまでメスを入れるか決めるというもの。そして手術後、3週間かけて腫瘍のすみからすみまで顕微鏡で見た上での最終診断が下ったのがつい先日だったわけ。
実は私も、自分がこうなるまで知らなかったんだけど、腫瘍には良性と悪性だけじゃなくて、その中間の「境界悪性」というのがあって、私の場合、医師の”暫定的な”見立てはそれ。で、何か違うかというと、「境界悪性」は良性腫瘍ほどではないけれど、がんではないというのが、医学界というか、保険業界の認識なんだって。
恐る恐る診察室のドアを開けた
「それだけ手術の予後がいいってことですかね」と担当医は言うけれど、もし私が悪性だったときにおりる保険金の額を話したら、「そんなに?」とちょっと驚いた顔をなさった。

もちろん悪性でないにこしたことはないけれど、万が一、そうだったときに保険金が心の慰めにならないか? そんなことを考えながら、さて、どっちだ。緊張してその日を迎え、恐る恐る診察室を開けたら、担当医は手術の直後と同じ笑顔で、「よかったです。境界悪性のままでした。抗がん剤治療もしません。次は来年の2月に診察に来てください」ときわめてあっさり、サラッと言うので、私はひざから崩れ落ちそうになったわよ。
それにしても生まれて初めてした、12日間の入院体験は強烈だったわよ。おそらく我が人生を振り返ったときに、今回の手術、入院前と後では何もかも変わってしまった感じ。これまで17年間、賭け続けたがん保険を回収したい、なんて強欲は手術後の痛みと共に消えたけれど、いちばん変わったのが食事の好みなの。
食事の時間が楽しみになったが…
9月30日から10月11日までの12日間の入院で、途中、手術前に絶食をして、最終日は朝食だけだから全22食。実は私、全部写真を撮ったの。

入院当日、最初の食事はカレーランチで普通の家庭のカレーのようにじゃがいもが入っていて、普通においしい。これで期待値が上がった私はそれから食事時間がとても楽しみになったの。

感心したのは1日1800kcalなのにご飯ががっつり盛りなんだよね。看護師さんが「食事はどのくらい食べましたか?」と毎回、聞きに来るんだけど、カーテン越しに声だけ聞こえる同室の人は「ご飯を残しました」と言っていたもの。もっとも私はパーフェクト!! 一回もなにひとつ残さず平らげたわよ。
手術前に絶食をして、手術後もガスが出るまでは絶食。ガスが出るか出ないかは、手術後の回復のバロメーターだから、ずっと下腹部の調子が気になるんだよね。「どういうことかはわからないけど、ふだん快食快便の人に限ってガスの出るのが遅いんですよね」と、これは同室の人に看護師さんが話していたことだ。
一度もメニューが重複しなかったことに感動
快食快便といったら私のこと。案の定、手術後1日は当たり前だとしても2日、3日の朝が明けてもいっこうにお腹が張る気配がない。その間、同室の人に運ばれてくる食事のにおいがあまりに香ばしくて、いっそのことガスが出たとうそついちゃおうかと思ったほどよ。
後のことを考えてどうににか思いとどまったけれどね。やっと3日目の午後にポワンと力のないガスが出たときは、ほんと、ホッとしたわ。

ガスさえ出れば、食事が出る。といっても米粒のないおかゆと果物のジュースなんだけどね。それでも「よし、大丈夫だ」と体中に希望がみなぎったわよ。
栄養を入れていた点滴が外れて身軽なことったらない。相変わらずご飯はおいしい、のもある。それより一度もメニューが重複しなかったことに感心したわよ。
とはいえ、食事のアラも見えてきたの。病院食だから仕方がないんだけど、どの料理も冷めていて、うすらあたたかいんだよね。

フーフーしてお味噌汁を飲みたい。アツアツ、炊き立てのご飯を食べたいと、まあ、こんなことを考えだしたら退院間近なんだけどね。
それでも家に帰って自炊をしたら、病院の塩気の足りない野菜の煮物を体が欲しがったんだよね。あと、よく出たすまし汁も私の自炊メニューになったし、出汁を利かせるのもそう。
つらかった手術だったけど、病院食は私の宝にしたいと思っているんだ。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
【322】「卵巣がん疑い」で手術したオバ記者 入院中、頭から離れなかった「がん保険」のこと