時代が移り変わると、周りに見える景色も少しずつ変わっていくもの――。ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)が、町歩きの中で感じた「変わるもの・変わらないもの」について綴ります。
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これからバラ色の人生?
長いこと生きてきたけど、今年の3月ほどメリハリが効いた月ってなかったんじゃないかしら。前回、ここで生まれ故郷の茨城県桜川市で講演会を開いて大盛況だったという話を書いたけれど、今回はその後日談。
旧知の漫画家の森園みるくさんがトークイベントを浅草で開くというので出かけてみたの。今回はみるくさんがタロット占いをしてくれるという。「習いたてだから上手じゃないけどぜひ来て」「行く行く」というわけよ。
「で、何が知りたい? 男? 出会い、くくく、男ね」
『欲望の聖女 令嬢テレジア』などの作品を知っている人は、どんなにミステリアスな人かと思うかもだけど、裏表のなさ、子供のような率直さに気がつくとこっちまで童心にもどってしまうんだよね。
その森園さんの占いだけど開口一番、「ちょ~っと、こんなカード出る?」だって。なんと、私はこれからバラ色の人生が始まるって、こう言うのよ。
「そのためには何をすればいいか、だね? え〜っと、ちょっと待って」。スパスパとカードを切っては開くみるくさんから告げられた言葉は、もう、やだ。思い当たることばかりよ。
実はこの日、サイン入り色紙、限定3人の抽選会があって抽選番号を書いた紙が配られたんだけど、それを見た瞬間、「当たった!」と思った私。そして最初に呼ばれたのが私の番号…。うれしい? そりゃあ、うれしくないわけがないわよ。でもその一方で、こういう“小当たり体質”が私の道ならぬ道、ギャンブル依存に落ちた原因でもあると思うと微妙よ。男運は悪いけどくじ運はいいって、笑っていられないんだって。
46年前に行っていた「蕎麦屋さん」へ
その翌々日は四谷荒木町で撮影が早く終わったので、思い出の地、四谷4丁目まで歩く気になった。ここは私が19歳から20歳までの1年間、週に6日、働いていたところでね。交差点の角のビルの1階の小さな喫茶店でウエイトレスをしながら、近くにあった日本ジャーナリスト専門学校に夕方から通ったの。
その喫茶店のビルの上の階が全部、芸能プロダクションだったことから、田舎から出てきて2年目の私の前に“リアル芸能人”が毎日のように現れるという、漫画のような展開になったんだけど、それはともかくよ。
66歳の私が気になったのは、20歳の私が喫茶店の窓越しにいつも見ていたお蕎麦屋さんが今でもあるかなということ。何せ大昔のこと。あったら奇跡だなと思いつつ、歩いたら「あった!」。『四谷大木戸 薮蕎麦』があったのよ。
当時のままの“太い海老天”
私、バイト最後の日、喫茶店で調理をしていたMさんからここの天ぷらそばをご馳走になったんだよね。Mさんはいかにも都会の女性といった感じのスタイリッシュな人で私に洋服にくれたり何かと優しくしてくれたっけ。
そんなことを思い出しながら天ぷらそばを注文すると、当時、こんな太い海老天があるのかと驚きながら食べたときのまんま! 昼過ぎでお客さんがはけたあとだったので、私が思い出すまま女将さんに、「あそこに本屋さんがあって、あそこの美容院は…」と話すと、「そうそう。あの店は場所を移してあるわよ。あの美容院は」と次から次。
すっかり嬉しくなった私が次に向かったのは、交差点の角の石碑なの。ネットで見ていたらかすかな記憶があったんだよね。東京には変なものがある、というくらいだけど、何せお使いを言いつけられて交差点を渡るとあるんだもの。「区画整理でまちの様子はまるで変わりました」と『薮蕎麦』の女将さんは言っていたけど、こうして変わらないものがあるとちょっとホッとする。