ライフ

「樹木医」として注目集める後藤瑞穂さん、なぜ“木を診る”仕事を選んだのか? 目標達成までの苦労と息子と2人で食べていけるまで

起業後は売り上げが立たず悪夢を見る日々

仕事は順調だったが、就任から4年後、熊本を離れて東京に進出することになる。

「きっかけは父の提案で、この土地で造園屋をしていてもこれ以上の発展はないから、東京に出てチャレンジしなさいと言われました。当時は離婚したばかりで、シングルマザーの私が上京して起業できるのかと不安がありました。

それでも、それまでは夫に合わせて生きていたけれど、自分の人生を進みなさいと父に背中を押されて、挑戦したいという気持ちが芽生えました。39歳だったので、専門的な技術を生かしてチャレンジするには、年齢的にもちょうどいいと仲間たちに励まされました」

後藤瑞穂さん
東京進出を決めたのは39歳の時。個人事務所「木風KOFU」を立ち上げる
写真5枚

東京進出を決めた理由

東京進出に踏み切ったのは、プライベートでの理由もあった。

「実は、母子家庭で肩身が狭かったんです。子供の小学校でも嫌みを言われることがありました。けれど、上京してからはシングルマザーが珍しくない環境だったので、周囲の目が気にならなくなりました。それに私は東京生まれで、4歳まで東京で育ちました。だから、水が合ったんでしょうね」

樹木医として仕事の幅を広げようと、新天地で個人事務所「木風KOFU」を立ち上げた。しかし、好調な滑り出しとは言えなかった。

「最初の半年は売り上げが200万円ぐらいしかなく、大変でした。不安定な仕事に悩まされて、息子と濁流にのまれる悪夢まで見ました。それでも、手が空いている時間はブログを書いたり、SNSで情報を発信していました。

すると、当時は女性がヘルメットと作業服を身に着けて樹木のメンテナンスをする姿は珍しかったんでしょうね、だんだん取材依頼が来るようになったんです。メディアに出ると、それを見た人から問い合わせが来る。その繰り返しで仕事が増えていきました。親子2人、慎ましやかに生きていけるようになったのは東京に出て3年目ぐらい。ホッとしました」

◆樹木医・後藤瑞穂さん

後藤瑞穂さん
樹木医・後藤瑞穂さん
写真5枚

1968年生まれ。東京都出身、熊本県育ち。短期大学卒業後に造園設計に携わり、2001年熊本県初の女性樹木医に。最新樹木診断機器ピカスを日本で最初に導入。2007年「木風KOFU」設立。セミナーや講演のほか、テレビ番組『情熱大陸』(TBS系)出演など幅広い分野で活躍中。著書に『樹を診る女のつぶやき』(熊日出版)などがある。2021年、放送大学 教養学部 自然と環境コース卒業。https://kofu-japan.net/ceo/

撮影/浅野剛 取材・文/小山内麗香

●大塚寧々が気鋭の若手陶芸家と対談、作品との出会いは「私の全細胞が喜んでいた」

●50歳から仕事で“自分の道”を見つけている人の3条件 「苦手なこと」「嫌なこと」をしない姿勢も大事

関連キーワード