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「樹木医」として注目集める後藤瑞穂さん、なぜ“木を診る”仕事を選んだのか? 目標達成までの苦労と息子と2人で食べていけるまで

後藤瑞穂さん
『情熱大陸』でも取りざたされた熊本県女性第1号の樹木医・後藤瑞穂さんにインタビュー
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天然記念樹から街路樹まで、さまざまな樹木を診断して治療する樹木医。まだ珍しい女性樹木医として注目を集める後藤瑞穂さん(55歳)。その活動は昨年、『情熱大陸』でも紹介され、反響を呼んだ。瑞穂さんに樹木医を目指した理由や、起業時に苦労したエピソードを聞いた。

樹木医は人の安全や環境を守る「縁の下の力持ち」

樹木医は樹木の健康を診断して適切な治療を行う「木のお医者さん」。まだ珍しい職業で全国3000人弱しかおらず、女性に限れば400人を下回る。

「樹木医は日本緑化センターが認定している資格で、元々は林野庁が天然記念樹や貴重な保存樹を守るスペシャリストを育成しようと生まれた職業です。

診断する際はまず外観診断といって、木の健康状態を外から見て診断します。葉の色や数、害虫が発生していないか、空洞や外傷がないかチェックして、カルテをつけます。そのあと、機械を使って中が腐っていないかなどを調べます。人間で例えると、レントゲンやCTスキャンのようなものです。それに加えて、土壌の状態も確認します」

後藤瑞穂さん
樹木医は全国で3000人弱。その中でも女性樹木医は400人にも満たないという
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土砂災害防止や温暖化抑制にも役立つ

公園樹や街路樹などの都市樹木は、基本的に樹木医が点検している。

「街の道路は人や車が通るので、危険な木は治療するか植え替えるか、そういう判断を迅速にしなければいけないんです。もし街路樹が倒れてしまったら、大きな事故につながりかねません。街の安全のために樹木医は重要な役割を果たしています。

郊外では御神木や、貴重な文化や歴史などを守るために役立っています。樹木は長命なので、重要な遺伝子資源になっているんです。それらを守り、受け継いで次世代に伝えていくことも、私たちの大切な役割です。

さらにスケールが大きくなると、森林の環境を整えることで、土砂災害はもちろん、地球温暖化を抑制することにも役立ちますし、海岸林は津波、潮害、飛砂、風害などの災害防止になります」

乳児を背負いながら試験勉強、熊本県初の女性樹木医に

樹木の力を活用して安全や環境の向上を推進する樹木医。瑞穂さんがそんな「縁の下の力持ち」の仕事を目指したきっかけは、偶然のようなものだった。

「医師の祖母の姿に影響を受けて、子供の頃はお医者さん、特に獣医さんになりたかったんです。同時に、造園家の父が芸術的なことに触れさせてくれたので、就職はガーデンデザインに進みました。

31歳になって、出産のために里帰りをしたときに、父が受けようとしていた樹木医の試験のテキストを見つけて、これだ! と思いました。元々医者になりたかったし、自然や樹木が大好きなので、自分にぴったりだと感じて受験しようと考えました。私が学生の頃には、まだ樹木医という資格はなかったんです。

それに、熊本県にはまだ女性の樹木医がいなかったので、第1号の女性樹木医になりたい、という野望もありました(笑い)」

後藤瑞穂さん
樹木医という職業があると分かった時「これだ!」と思った
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「二宮金次郎みたい」

妊娠中から試験勉強を始めたが、出産を経て育児をしながらの勉強はハードだった。乳児をおんぶしながら勉強した日々は「まるで二宮金次郎みたいでした」と瑞穂さんは笑う。

「朝3時ぐらいに起きて、子供を保育園に預けられるようになったら、先輩樹木医が勤める会社にアルバイトに行って勉強させてもらって、それが終わったら子供を迎えに行って、家事をして、子供を寝かせつけたら、ヘッドライトでまた勉強をして、寝落ちをして……という毎日の繰り返しでした」

1回目の試験には落ちてしまったが、2度目に見事合格した。

「合格通知が届いたので、やった! と飛び上がったら、あまりに大きな声だったからか子供が怯えていました(笑い)。父も応援してくれた仲間も、みんな喜んでくれました。母にも報告できたのですが、母は膠原病を長く患って入退院を繰り返していたのですが、それが、とうとう……。孫に会わせられたし、合格も報告できたのはよかったんですけどね」

父の事業を引き継ぎ、造園会社へ

父親が経営する造園会社の事務や経理を母親が担当していたこともあり、母親の死後、後藤さんは事業を引き継ぐかたちで造園会社に入社した。

「職人さんたちと一緒に仕事することになったんですけど、事務所にいても社長と認識されないんです。どこぞの姉ちゃん、みたいな扱い(苦笑)」

会社の代表なのだから、威厳や強いリーダーシップが必要だともがいていたが、そうではなかったと後藤さんは振り返る。

「まだ若いし女性だし、威張ったところで誰もついてこない。それより必要とされていたのは、みんなの力を引き出す、押し上げる能力だったんですよね。そこでベテランの職人さんたちの意見をよく聞いて、ニーズを汲み取って反映させることで、一体感のあるチームになりました」

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