
佐藤健さん(35歳)が主演を務めた映画『四月になれば彼女は』が3月22日より公開中です。川村元気さんによるベストセラー小説を原作とした本作は、とある男女の10年にわたる愛と別れを壮大なスケールで描いたもの。ミステリアスで温かい、そんな作品に仕上がっています。今回は、本作の見どころや佐藤の演技について、映画や演劇に詳しいライターの折田侑駿さんが解説します。
* * *
川村元気によるベストセラー小説を佐藤健主演で映画化
本作は、川村元気さんによる同名小説を、ミュージックビデオをはじめとする数々の映像作品を手がけてきた山田智和監督が映画化したもの。山田監督にとって、これが長編デビュー作となりました。

原作者の川村さんといえば、『怒り』(2016年)や『怪物』(2023年)など多くの話題作を企画・プロデューサーとして世に送り出してきた人物。主演の佐藤健さんとは2016年公開の『何者』でもタッグを組んでいますし、原作を手がけた『世界から猫が消えたなら』(2016年)と『億男』(2018年)でも佐藤さんが主演を務めています。この『四月になれば彼女は』で佐藤さんが主演を務めるのも、ごく自然な流れだったのではないでしょうか。
共演に長澤まさみさん、森七菜さんを迎えた本作が描くのは、「人を愛するとはどういうことなのか?」という問い。現代を生きる私たちに鋭く刺さる作品だと思います。
ひとりの男が彷徨う、愛の旅路
ある年の4月。精神科医である藤代俊(佐藤)のもとに、かつての恋人・伊予田春(森)からの手紙が届きます。そこに綴られていたのは10年前の初恋の記憶。しかもこの手紙は、“天空の鏡”と呼ばれるウユニ塩湖から送られたものです。
藤代は婚約者の坂本弥生(長澤)と結婚の準備を進めているところで、はたから見ればまさに幸せの絶頂期。そこへも世界各地から春の手紙が届きます。

そんなある日、弥生は突然、姿を消してしまいます。そして、どれだけ探してみても見つからない。なぜ弥生は姿を消したのか。なぜ春は手紙を送ってきたのか。やがてこのふたつの謎が、繋がっていくことになります。
愛の物語を彩る強力な布陣
10年にわたる愛と別れを壮大なスケールで描いた本作。これを立ち上げているのは、日本映画界屈指の布陣です。
藤代の現在の恋人であり婚約者でもある弥生を演じるのは長澤さん。いつも毅然と振る舞いながらも、彼女にはどこか影のようなものを感じる。ふとした表情や仕草によって、そんな弥生像を立ち上げています。

いっぽう、森さんが演じる春は、弥生とは対照的な人物です。藤代のかつての恋人である彼女が登場するのは、藤代の過去の記憶の中。ハツラツとした笑顔が印象的な彼女の存在が介入することにより、私たち観客はこの物語がどこへ進んでいくのか惑わされます。

長澤さんと森さんが演じるこのふたりのヒロインの存在が、本作の軸になっているのです。

さらに、藤代の友人役を仲野太賀さんと中島歩さんが演じているほか、河合優実さんが弥生の妹を、ともさかりえさんが藤代の同僚を、竹野内豊さんが春の父親を演じています。
このような布陣の中心に立ち、作品を牽引しているのが佐藤さんなのです。
過去と現在を往復する佐藤健
佐藤さんといえば、“主演俳優”としてさまざまな作品の看板を背負い続けている数少ない存在。映画での主演は2021年公開の『護られなかった者たちへ』から約2年半ぶりのこととなりました。川村さん原作の『世界から猫が消えたなら』と『億男』でも主演を務めていたことは先述しているとおりです。
そんな佐藤さんが本作で体現するのは、愛に翻弄されるひとりの男の姿。これまでにも『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(2017年)などの作品でラブストーリーの世界を生きてきましたが、本作では過去と現在を往復しながら愛の旅路を歩んでいます。
過去と現在の間には10年という大きな時間の開きがあるため、当然ながら佐藤さんは過去の藤代と現在の藤代の差異を表現しなければなりません。10年経っても変わらない人もいれば、まったく変わってしまう人もいる。この物語における藤代というキャラクターは、表面的には大きな変化のない人物です。けれどもこの10年という月日の流れの中で、その内面は圧倒的に変化している。

過去の彼からは、人生やこの世界というものに対して希望を持っているのを感じます。しかし現在の彼は幸福であるいっぽう、どこか“あきらめ”のようなものを感じる。
「大人になった」といえばそうなのかもしれません。彼が変わることになった具体的なきっかけについてまでは言及しませんが、藤代の過去と現在との差異を、佐藤さんはじつに繊細な視線やセリフ回しの変化によって表現しているのです。

佐藤健が走るとき……
佐藤さんは身体能力の優れた俳優として広く知られていることでしょう。主演を務めたアクション大作『るろうに剣心』シリーズ(2012年-2021年)は言わずもがな、『亜人』(2017年)や『サムライマラソン』(2019年)などでもその事実を証明してきました。
そんな彼が展開するアクションの中でもとくに優れていると思うのが、“走る”という行為です。もっともシンプルで、ほとんどの人がやったことのあるものだからこそ、それがいかに優れているのか、感覚的にでも理解できるのではないでしょうか。その走り姿は凛々しく美しく、そして鋭い(ちなみに『亜人』で共演した綾野剛さんもまた走り姿の美しい人で、このふたりが2強だと筆者は考えています)。
劇中では2度、藤代=佐藤さんが全力で走るシーンが描かれます。それは目の前にある愛する存在に対して激しく感情が動く瞬間であり、キャラクターのこの内面の変化が、アクション=肉体に反映されるわけです。
佐藤さんが走るとき――それはつまり、いつもは平静を保っている藤代の感情が、極限にまで昂る瞬間なのです。私たちは佐藤さんの身体的な変化をとおして、藤代の心に触れる。涙なしに見られないシーンが生まれています。
「愛する」とは何か?
本作が描くのは「人を愛するとはどういうことなのか?」という問いであり、これに対する答えは十人十色なのではないでしょうか。私たち一人ひとりが異なる答えを持っているわけで、唯一解などないのではないかと思います。
けれども本作はひとつの回答を提示しています。それは先述しているように、藤代=佐藤さんの姿から読み取ることができる。つまり「愛する」ということは、この肉体にまで劇的な変化を与えるものなのではないでしょうか。もしも自然と走り出してしまったら、そこには“愛”が生まれているのかもしれません。
◆文筆家・折田侑駿さん

1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun