
2024年5月15日、「全国赤十字大会」に名誉総裁として、皇后雅子さまが出席された。4月から日本赤十字社に嘱託職員として勤務されている愛子さまもスタッフの一人として、朝の8時ごろ、皇居から会場に入られた。皇室と日本赤十字社との関係は実は明治時代から。ゆかりが深いその関係を振り返る。












明治時代から始まった歴代皇后と日赤の関係
1947年、香淳皇后(昭和天皇の皇后)のご就任以降、美智子さま、雅子さまと、歴代皇后陛下が名誉総裁を務めているが、皇后の名誉総裁就任の前から日本赤十字社と皇室の関係は始まっている。

















1888年、磐梯山噴火の際、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の意向で日本赤十字社から医師が派遣され、これが日本赤十字社の最初の災害救護活動となった。また、1912年に昭憲皇太后は各国赤十字活動の支援のため10万円(現在の3億5000万円に相当)を寄付している。
全国赤十字大会で時代の“バトンタッチ”を象徴する場面も
30年間、名誉総裁を務められた美智子さまは、2018年5月に最後の「全国赤十字大会」に出席された。会場を退場される前に、後ろに立たれていた雅子さまに声をかけられ、次期名誉総裁を紹介されるかのように雅子さまの腕に手を添えられた。そして会場に向かって深く頭を下げられたお二人に、大きな拍手が送られた。美智子さまの心遣いが感じられるこのときの行動は、平成から令和への“バトンタッチ”を象徴する印象的なシーンとなった。


ご就職前、赤十字の歴史を学ばれていた愛子さま
愛子さまが、日本赤十字社に嘱託職員として勤務される前、2023年10月2日に天皇皇后両陛下と共に、日本赤十字社本社を訪問されている。到着後、救護活動で殉職した救護員の慰霊碑に花を手向けられた天皇ご一家。公式の場で愛子さまが、供花されたのは初めてのことだった。
その後、企画展「温故備震(おんこびしん)~故(ふる)きを温(たず)ね明日に備える」を見学されたご一家。日本赤十字社の公式ホームページには、このときの天皇ご一家のご様子が記載されている。
《愛子さまは赤十字の歴史を学ばれていたご様子で、救護用医薬品の展示コーナーでは、職員の説明よりも先に「アメリカからいただいたウイスキーもあるのですよね」と話される場面も。愛子さまの知識に驚く職員に「先走ってしまいました」とはにかむ、ほほ笑ましいお姿もありました》
日本赤十字社本社を訪問される前に、事前に勉強されていた愛子さま。このとき、すでに日本赤十字社への就職を考えていたのかもしれない。





日赤にほぼ毎日出勤、仕事と公務の両立も
2024年4月1日に、日本赤十字社の本社に初めて出勤された愛子さま。社長から辞令を受け取ったあと、報道陣の取材に応じ、抱負を述べられた。
「先ほど、社長より辞令を頂き、あたたかいお言葉をかけていただきまして、うれしく思うと同時に、社会人としての一歩を踏み出したのだと、身の引き締まる思いが致しました」
入社以来、ほぼ毎日出勤されているという愛子さまは、忙しいスケジュールの中、皇室の活動にも精力的に取り組まれている。2024年4月10日に明治神宮へ初めて参拝された際には、午前は勤務を休まれていたが、参拝後に御所に戻り、ドレスを着替えられ、午後には出社されている。同年5月11日には初の単独のご公務に臨まれるため、国立公文書館へ訪問されるなど、仕事と公務の両立を続けられている。





「いい方に囲まれ楽しく」 素敵な出会いに恵まれた愛子さま
2024年4月23日に開催された園遊会で、俳優の北大路欣也さん(81歳)が就職された愛子さまについて「愛子さま、ご卒業、ご就職おめでとうございます」と話すと、雅子さまが「仕事では周りの方、とてもいい方に囲まれて楽しく…」と愛子さまの職場での様子を嬉しそうに話されていた。
2024年4月2日、ご就職に際しての宮内記者会質問で、「これまでに心を動かされる出会いはありましたか」という質問に対し、愛子さまは以下のように答えを綴られている。
「心を動かされる出会いというと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私にとっては、これまでの出会い全てが心を豊かにしてくれたかけがえのない宝物であり、深く感謝しております。これからも様々な出会いに喜びを感じつつ、一つ一つの出会いを大切にしていきたいと思います」
明治時代から皇室と繋がってこられた日赤で、愛子さまは素敵な出会いに恵まれ、充実した社会人生活を過ごされているようだ。













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