限りある人生を、後悔なく生き抜きたい
秋野さんは50歳から絵を描き始めた。昨年の作品展では、その売り上げの一部をがん研究のために寄付している。
「医師や研究者のご努力があったからこそ、今の私があると思っています。例えば1930年代に食道がんの手術をすると、95%亡くなっていたんですって。当時は胸も背中も切るような大手術だったせいですが、今はダヴィンチという手術支援ロボットの発達などがあり、生存率が上がってきました。
膨大な医療の研究費から比べたら微々たるものですけど、少しでもお役に立ちたいと寄付をさせていただきました。それも、私が絵を販売し、皆さんに協力していただけたからできたことです」
絵画を始めたのは、加山雄三さん(87歳)の一言がきっかけだった。
「なにか趣味を持ちたいなと話していた時に、加山さんに“絵を描いたらどうか”とおっしゃったんです。絵に触れてこなかったので、どうやって描くの? と聞いたら、キャンパスと絵の具とイーゼルを買って……、みたいな初歩的なところから始まって(笑い)。
それで描き始めたら、なんとなくお芝居と似ていておもしろいんですよ。ある種の自己表現で、そして限りがないんです。絵ってやめ時が難しい。描き込みすぎてもいけないし、描かなすぎてもいけない。そのさじ加減もお芝居に似ています。今年の秋にまた作品展を開く予定なので、見に来てくださいね」
がんサバイバーに重要なのは希望をなくさないこと
秋野さんは9つのがんがなくなった翌月、2023年12月から1か月ほど、1人でハワイ旅行を楽しんだ。
「ハワイは好きなので何度も行っていますが、ここまで長期間なのは初めてです。人生には限りがあることは身に染みましたから、やりたいことはすぐ行動。死ぬ寸前に、あれをやっておけばよかった、という後悔はしたくないと思って」
がんの治療を経て、死生観も見つめ直したという。
「普通に生きていると、あまり“死”を意識しませんよね。人は必ず死ぬ。そんな当たり前のことを意識して生きるのと、何も考えないで漠然と生きるのとで、行動や考え方が変わることがよくわかりました。だから、今をどう生きるかが大切。やりたいことにはどんどん挑戦したいというのが、この病を経て私が感じたことです。
あまり偉そうなことは言えないのですが、がんサバイバーやがんファイターに重要なことは、自分を信じて、希望をなくさないことだと思います。お互い希望をもって生き抜きましょう!」
◆女優・秋野暢子さん
1957年1月18日生まれ。大阪府出身。1974年にテレビドラマデビューし、翌年NHK連続テレビ小説『おはようさん』で主演。1986年、映画『片翼だけの天使』でキネマ旬報主演女優賞受賞。2022年6月にステージ3の頸部食道がんが判明、主な治療は成功してがんサバイバーに。舞台、バラエティ、執筆、講演など、幅広く活動している。https://ameblo.jp/yokosmilerun/
取材・文/小山内麗香