
2024年6月21日に42歳を迎えたイギリスのウィリアム皇太子。妻・キャサリン皇太子妃は3月にがんであることを公表し、現在も療養中だが、妻を支えながら公務を続けている。そこで、これまでパートナーとして長い道のりを共に歩んできたウィリアム皇太子夫妻の出会いから“今”までを振り返る。


出会いは大学、交際はファッションショーがきっかけか
2001年にスコットランドのセント・アンドルーズ大学で共に美術史を専攻し、出会ったキャサリン皇太子妃(当時はケイト・ミドルトン)と、ウィリアム皇太子(当時は王子)。

2002年に大学で行われたチャリティファッションショーで、シースルーのドレスを着てランウェイを歩いたキャサリン皇太子妃の姿を見たウィリアム皇太子が異性として意識し始め、交際に発展したと言われている。2人は在学中、ほかの友人たちと共にルームメイトとして、共同生活を送り、絆を深めた。

結婚報道が過熱、二度の破局を経験
2004年に、キャサリン皇太子妃がスキー旅行に同行したことで、2人の関係が公になったが、同年の夏に一度目の破局を迎えたという。しかし、2人は復縁し、大学卒業後はウィリアム皇太子の結婚報道が過熱する。パパラッチはキャサリン皇太子妃を追いかけるが、婚約の話にまでは進展せず、「ウェイティ・ケイティ」(待ちぼうけケイト)と失礼な呼び方をされる状況だった。
空軍士官学校に通っていたウィリアム皇太子と、ファッションブランド「ジグソー」で働いていたキャサリン皇太子妃の間にすれ違いが続いたのか、2007年4月頃に二度目の破局が報道された。
破局から約3か月後、ダイアナ元妃の生誕46年を記念した追悼コンサートで少し、離れた席に座る2人がキャッチされ、復縁したことが明らかになった。

婚約を発表した際のインタビューで、離れていた時期について質問されるとキャサリン皇太子妃は、以下のように答えた。
「あのときは幸せじゃなかったけど、(別れていた期間が)私を強い人間にしてくれました。自分自身について、今まで気づかなかったことも発見しましたし、若いと恋愛に夢中になるものだと思います。当時はそんなふうに思えなかったけど、今考えると離れていた時期は、とても貴重な時間でした」
ウィリアム皇太子と離れていた期間、冷静に自分を見つめ直したことで大人の女性へと成長を遂げたのかもしれない。

ケニアでロマンチックなプロポーズ
二度の破局を乗り越え、2010年11月16日に婚約を発表。アフリカのケニアでの旅行中にウィリアム皇太子からプロポーズしたという。キャサリン皇太子妃はダイアナ元妃の指輪を受け取った。

インタビューで、ウィリアム皇太子がプロポーズの話をすると、キャサリン皇太子妃が照れ笑いをしながら「とてもロマンチックでした」とコメントしている。また、キャサリン皇太子妃が常につけているサファイヤの婚約指輪について、ウィリアム皇太子が婚約発表のインタビューでコメントしている。
「母の婚約指輪です。(ダイアナ元妃の指輪を選んだことは)とても素敵なことだと思ったんだ。(他界した)母と楽しいことや興奮を共有できないから、母を身近にするための私なりの方法でした」

キャサリン皇太子妃が常に形見であるダイアナ元妃の指輪をつけているのは、「母を身近に」というウィリアム皇太子の意思を尊重しているからだろう。
世界中から注目されたロイヤルウエディング
2011年4月29日、ロンドンのウェストミンスター寺院で結婚式を挙げた。挙式には元サッカー選手のデビッド・ベッカムと妻のヴィクトリアや、シンガーソングライターのエルトン・ジョンなど、約1900人の招待客が参列。2人の結婚式を見るため、約100万人の人々が集まり、世界で20億人がテレビで挙式を視聴したと言われている。


このとき、キャサリン皇太子妃が着ていたウエディングドレスは、「アレキサンダー・マックイーン」のデザイナー、サラ・バートンが手がけたもの。ティアラはエリザベス女王から借りた、1936年に「カルティエ」が製作した「ヘイロウ・ティアラ」を着用した。
今年の結婚記念日には「13年前の今日!」というテキストと共に、ウィリアム皇太子とウエディングドレス姿のキャサリン皇太子妃が笑顔で写る、未公開写真が公式インスタグラムに投稿された。

結婚後はロイヤルファミリーの一員として、国民に愛されるプリンセスとなったキャサリン皇太子妃。2024年6月15日にはトゥルーピング・ザ・カラーに出席し、約半年ぶりに公の場に姿を現れ、笑顔を見せた。多くの人々が、病から一日も早い回復を祈っている。
































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