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《たった5kmの距離だった》ピーコさん、弟おすぎとの非業の別れ「たまに昔を思い出して笑顔に」晩年は近くの違う施設で最後の時間を過ごした

亡くなったピーコさん(右)と弟のおすぎ
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昭和、平成と約40年以上、長らくお茶の間の人気者として活躍してきたタレントとしては、あまりに寂しく、辛い晩年だったといえよう。

タレントのピーコさんが9月3日、敗血症による多臓器不全で死去していたことが20日、発表された。79歳だった。最期は横浜市内のグループホームにいたピーコさん。一方、長らく芸能界で「おすぎとピーコ」としてコンビを組んでいた、唯一の肉親である双子の弟・おすぎはというと、直線距離でわずか5km先にある別のグループホームに住んでいる。認知症を患うおすぎが、ピーコさんを看取ることは無かったという…。

”老老介護”の同居生活はわずか3か月で断念

ピーコさんは1945年に、神奈川県横浜市に生まれた。本名は杉浦克昭(すぎうら・かつあき)。文化服装学院を経て、衣装デザイナーとして活躍していたピーコさんは、おすぎとともに1975年にタレントとしてもデビュー。兄弟でのラジオ番組をきっかけに、TBS系『3時にあいましょう』など、いつの時代もどこかのワイドショー、情報番組のコメンテーターに、また『笑っていいとも!』などの国民的テレビ番組にもレギュラー出演し続けて、まさに芸能界屈指の双子タレントとして活躍してきた。

ピーコさん(右)はファッション評論家として活躍
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しかし、コロナ禍に入った2021年夏ごろ、先に映画評論が本業のおすぎが認知症を発症。仕事に支障が出始めたことで表舞台から去った。福岡での一人暮らしも困難となり、横浜市内のピーコさん宅で、約50年ぶりの兄弟同居を開始した。

ただ、“老老介護状態”は、想像以上の大変さだった。あるピーコさんの知人は、NEWSポストセブンの取材に対して、以前から詳細を明かしていた。

「認知症がひどいおすぎさんの行動に、ピーコさんは我慢ができず、何度も癇癪を起こしてしまった。実は、ピーコさんにも認知症が出始めて、日に日に面倒になっていくおすぎさんをケアするどころでは無かったのです」

おすぎとピーコとしてバラエティーなどでも活躍
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自分の病の発症に自覚があったピーコさんは、「このままでは共倒れ。今以上に弟を傷つけてしまう」と、断腸の思いでおすぎをグループホームに入所させる。同居からわずか3か月後のことだった。

しかし、それでもピーコさんに、二度と平穏は戻らなかった。「弟を施設に入れた罪悪感に苛まれると同時に認知症も急速に進行していってしまい、面会にも行けなくなってしまった」。一人暮らしの自宅はゴミ屋敷化と、身の回りのこともできなくなり、1年半前に本誌・女性セブン記者が対面した際には、「おすぎはもう死にました。ずっと認知症で入院していたのですが、2月に亡くなりました」と話すようになっていた。

おすぎ(左)は葬儀に参列できなかったという
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万引きが発覚、施設に入居することに

嘘をついていたのか、現実が分からなくなっていたのか。もはや、しっかりと問いただすことは叶わぬ状態だった。

そして、今年3月。決定的な事件が勃発した。買い物に訪れた店での万引きが発覚して窃盗罪で逮捕。余罪も判明したが、もはや善悪の判断もつかないピーコさんは、行政担当者と代理人弁護士の判断で、施設に入居することとなった。

昭和50年代から独特の語り口調で人気に
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「ただ、そのころに、たまに現実を認識する瞬間もあったようで、『弟とは違うところで』とのニュアンスの言葉を繰り返したそうです。悲しく寂しい“お別れ”でした」

この8月には、その2人で最後の3か月を暮らした自宅マンションも売却された。翌9月に先にピーコさんが逝去。現世での再会は叶わなかった。

この知人は、念を押すように付け加えた。「たまに昔を思い出せるときがあったのかな。機嫌が良くて笑顔の日もありました。きっと、お互いが元気で仲が良かったころのおすぎさんのことも思い出していたんだと思います」。

施設入居後のピーコさんは、もう面会もほとんど受け付けておらず、誰かと思い出話を共有することもなかったという。

「実は、お二人の施設は、車で10分ほどの近さで直線距離で5km未満。そんなに近くにいたけれど、認知症を患う同士のため、会って思い出話を語り合えることはできませんでした。つい数年前まで、あんなに頭が切れて冗舌だったお二人が、こんな最期を迎えるなんて…。でも、もう孤独と認知症にも苦しまないで済みます。ただただ、安らかに眠ってほしいです」

おすぎは、現在もグループホームで静かに余生を過ごしている。

笑顔で写真に写るピーコさん(左)とおすぎ
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