冤罪が生まれるのは裁判官の目が“節穴”だから
丸山弁護士は、裁判所による問題のある裁定を放置すると、「不条理が罷り通る社会になる」と警告する。
「死刑判決が冤罪であることが明らかになった袴田事件では『警察・検察の証拠捏造』を批判する声はあります。しかしそもそも、判決を出したのは、当時の裁判所ではなかったでしょうか。裁判官は推定無罪の原則をもって、厳しく証拠を見るべきであった。ところが裁判所は、検察側の出してくる捏造された証拠を“鵜呑み”にして、死刑判決を書いてしまったのです。免田事件など、裁判所が冤罪を生んだ例は数多くあります。
裁判所、裁判官の目は“節穴”だったわけで、本来、最も批判されるべきは冤罪を書いた裁判官なのです。
日産元会長のカルロス・ゴーン氏が逃亡したケースでも、責任は裁判官にあります。あのとき、検察と日産側は、ゴーンの保釈に反対していた。保釈後も、日産側は独自にゴーンの逃亡を防ぐために監視をしていたのですが、弁護側からの抗議を受けて、裁判官が監視を辞めるよう指示した。逃亡はその直後です。この逃亡の責任は裁判官にありますが、裁判所批判はほとんどなく、見過ごされています。
裁判官というのは検察や警察に比べて、責任の所在がわかりにくく、顔が見えない存在です。だから、あまり批判の声が上がりにくく、大失態を犯したとしても、知らんぷりをしていられるのです。
しかし、問題のある裁判官を放置していると、前述のような悲劇的な冤罪が生まれやすくなるなど、不合理な判決が蔓延する世の中になってしまうのです」
ベリーベストは高裁の判断を不服として、この9月に最高裁に上告した。司法の在り方を問う裁判として注目に値する。