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《自分が望む最期を実現するために…》国が推進する「ACP=家族会議」で話し合うべきこと 「延命」「蘇生」といった“究極の選択”についての意思表示も

自宅で最期を迎える場合、必要なのは家族と一緒に考え抜くこと(写真/PIXTA)
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多様な生き方ができる社会になっても、「死」はいまだ多様化されていないのが現実だ。病院や施設で旅立ちを迎える人が大多数を占める一方で、「自宅で最期を迎えたい」と願う人は多い。どうすればそれが叶うのか。あなた自身がそう希望するだけではきっと実現しない。必要なのは家族と一緒に考え抜くことだ。【前後編の前編】

「人生会議」とは?

あなたは人生の最期をどこで迎えたいですか。日本財団の調査(2021年)によると、67〜81才という当事者世代の58.8%が「自宅」を希望し、「医療施設」(33.9%)、「介護施設」(4.1%)を大きく引き離した。また、掲載のグラフにある通り、厚生労働省が発表した意識調査からも同様の結果が出ている。

厚生労働省が発表した最期を迎えたい場所の調査
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超高齢化が進んで多死社会が到来しているが、それぞれが願う「死」が実現しているとは言い難い。そこでいま注目されているのが、最期について家族で話し合う「家族会議」だ。欧米などでは「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)という呼称で、将来の医療やケア、看取りについて、本人や家族、医療・ケアチームが話し合い、意思決定を支援することが推奨され、多様なプログラムが展開されている。

日本でも厚労省が2018年、ACPに「人生会議」という訳語をあて、コロナ禍を経てその重要性がさらに浸透しつつある。国内に数少ない緩和ケア専門病院の愛和病院副院長で、緩和ケア医の平方眞さんが語る。

「定義は定まっていませんが、一般的に言えば、急に具合が悪くなり、どうしてほしいかを意思表示できず亡くなる事態に備えて、元気なうちにどういう最期を迎えたいのかを、家族など親しい人に伝えて共有しておく──そうした話し合いのプロセスを指します」

長寿社会において、死について考える時間が長くなった結果、私たちは「後悔しない幸せな最期」を模索し、そこに向けて努力できるチャンスが増えたことは間違いない。「いい看取りの日」と国が制定する11月30日を前に、人生の最期を話し合う「家族会議」のやり方をひもとこう。

遠くの親戚・経済負担・医療主導が「自宅で死にたい」を阻んできた

「国が人生会議を推進する背景には、“死ぬ場所の反比例”があります」

そう語るのは、『いえに戻って、最期まで。』の著者で、看取りを含めた在宅ケアの取材を数多くしてきたノンフィクションライターの中澤まゆみさんだ。

多くの人が自宅で最期を迎えたいと望んでいる(写真/PIXTA)
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「あらゆる調査で6〜7割の人が自宅で最期を迎えたいと望む一方で、現実には7割ほどの人が医療機関で亡くなり、年々、病院で死ぬ人の割合が増えています。さらに人生の最終段階では、約7割もの人が医療・ケアなどを自分で決めたり、望みを人に伝えたりすることができなくなるとの調査結果もあり、こうした現実と希望のギャップを埋めるためにも、自分が望む旅立ち方を前もって周囲の人たちに伝える話し合いが大切なのです」(中澤さん)

なぜ、自宅で最期を迎えたいという多くの人の望みは叶えられないのか。おかやま在宅クリニック院長で、『それでも病院で死にますか』の著者の岡山容子さんは、「大きく3つの理由があります」と語る。

「まず、同居する家族が自宅での死を応援していても、遠方に住む親族が過剰に心配し、施設や病院に入れたがる傾向があります。また、入院すると高額療養費制度などで医療費には自己負担の上限がありますが、自宅での介護が続くと上限がないので自己負担が大きくなってしまう。そうした経済的要因から病院を選ぶ人も少なくありません。

3つめは病気の内容です。がんなどの終わりが見えやすい病気は最期まで自宅で頑張りやすいですが、生活習慣病や老衰などの場合は寿命がいつ訪れるのかわかりません。特に、認知機能が衰えて自立して生活できない状態が年単位で続くと、別居する家族の判断で施設や病院に入れるケースが増えます」

親族の意見の不一致、経済的要因、疾患の種類という患者サイドの問題だけでなく、医療側にも要因があると強調するのは中澤さんだ。

「日本の医療現場には、長らく患者の意思が反映されにくかったという歴史があり、現在も患者の意思よりも医師の選択が優先されやすい傾向があります。在宅ケアのまとめ役となるケアマネジャーが、自宅で看取れるのに『そろそろ施設ですね』とすすめるケースも少なくありません」(中澤さん)

医療側がリードする環境を「患者本位」に変えるためにも、会議が必要であると平方さんが続ける。

「昔の医療は“これがいいに違いない”と医師が信じる医療を提供していましたが、徐々に患者が医療行為について充分な説明を受け、内容を納得した上で同意する『インフォームド・コンセント』が求められるようになりました。この流れにおいて、本人が意思表示できないときに本人の意思を反映するために生まれたのがACPです。

人生を締めくくるにあたり、本人や家族が“こんなはずじゃなかった”と後悔しないようにするためにも、これから先の医療では本人の意思決定、それを尊重することがますます重要になります」

ACPの重要性が啓発されるなか、厚労省が2023年に公表した調査では、国民の72.1%がACPを「知らない」と回答。中澤さんは「名称よりも中身が大切です」と語る。

「会議などと身構えることなく、希望する最期について家族で考え、共有し、意見を交わし、備える。死について話すのは、“縁起でもないこと”とタブー視されることもありますが、家族や親戚が集まる年末年始やお盆に、気軽に話題にしてみるといいと思います」

医師や訪問看護師も巻き込んでいつでも何度でも話し合う

誰にでもいつかは訪れる“そのとき”のための心構えは、具体的にはどう行えばいいだろうか。

医療関係者などに医療やケアの希望を伝えておくことが大事(写真/PIXTA)
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「話し合いはいつでも、どこでもできます。家族や医療関係者などに医療やケアの希望を伝えておくのは、人生の最終段階でなくても必要なことです。自分の希望する死に方や死ぬ場所は、その時々で変わるものなので、かしこまって話す必要はありません。

私がいつもすすめているのは、お酒でも飲みながら、自分の希望を話したり家族の希望を聞いたりしてみること。まずは、『お父さん、ご飯が食べられなくなったらどうする? 入院したい? それとも家にいたい?』などとハードルの低い状況で始め、軽い調子でワイワイやってみる。すると面と向かって聞くのが難しいこともスムーズに聞けるはずです」(中澤さん・以下同)

厚生労働省が発表した最期を迎えた場所の調査
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自宅で最期を迎えたい理由の調査結果
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「会議」と言ってしまえば大事にも感じるが、あらたまってやる必要はないのだ。また、こうした話し合いは1回だけで終わらせないことが大切だ。

「親しい人が亡くなったとき、病気の治療が始まったとき、入院が必要になったときなど、その都度、さりげなく話し合いを深めていくことが大事です。本人の気持ちは変わるので、繰り返し話題にしていくよう心がけてほしいですね」

会議に参加するメンバーは家族に限らない。家での最期を願うなら、なおのこと家族とだけ話していても希望は結実しないだろう。平方さんは、人生のタイミングによってメンバーは変わると指摘する。

「まだ元気なうちは家族を相手にして、急に自分が意思表示できない状況になったらどうしたいかだけを伝えておきましょう。それから先は、『漠然とだけど、家で死ねたらいいなと思っている』とか『みんなに迷惑をかけないよう施設に入りたいな』などと折につけて話題にしておきながら、いざ介護が必要な状態が近づいたら、ケアマネや、かかりつけ医などを巻き込んで話を進めるべきです」

現実的に人生の最期が近づき、「家で死にたい」と本格的に希望する段階まで来たら、家族とともに訪問医療や看取りの専門職を含めた話し合いが必要になる。

「家族に加えて、介護保険の手続きやケアプランの決定権を持つキーパーソン、訪問診療医を含めたかかりつけ医、訪問看護師、ケアマネらと日常的な情報を共有しながらコミュニケーションを深めて、本人の希望をどう実現するかを話し合ってください。

また、自宅で亡くなるためにはご近所さんの理解と協力があると役立つこともある。実際、がんと認知症を患ったひとり暮らしの高齢男性が、訪問介護と訪問医療、世話を焼いてくれるお隣さんらの“介護力”のおかげで、最期までひとりで自宅で過ごすことができた例もあります。会議の延長線上にご近所さんとのつきあいや対話があるといいですね」(平方さん・以下同)

本人の意思を聞きながら、家族は叶えるために意見を交わす

幸いなことに、昔よりも自宅で最期を迎えるための環境は整っているという。

「在宅医療に診療報酬がつくようになり、医療界でも病院から在宅へのシフトチェンジが進んできました。これまでクリニックで診察する傍ら、在宅医療をする医師も多かったのですが、地域差はあるものの、在宅医が増え、自宅で看取りやすくなっています」

本人の意思が共有されたら、家族はそれを支え、叶えるために「何をすべきか」「何ができるか」など備えについても意見を交わす必要がある。

「本人の意思を聞きながら、家族の思いをひとつにしていくといいですね。ご近所さんなどとの交流などそれまでの本人の人間関係を断ち切らないよう気をつけながら、自宅でのケア体制を段階的に整えていくといいでしょう。具体的にはヘルパーやデイサービスなど介護保険サービスの利用、必要なら訪問診療や訪問看護を加え、訪問回数を調整していくことです」(中澤さん)

「延命」や「蘇生」といった、“究極の選択”についても一応の話をしておくことが望ましい。

「状態が悪くなって死が迫った際、もう助からない状況でも頑張り続けたいのか、お迎えが来ていると思ったら一切手出しをせずに看取ってほしいのか、どちらを望むかの意思表示くらいはしておくべきです。ただし実際の現場で判断が変わることもあるので、最終決定する必要はない。現時点での希望を話すという感覚で大丈夫です」(平方さん)

大切なのは、胸襟を開いて話すことで、死をタブー視することなく、死についてじっくり考えられる環境をつくることなのだ。

(後編へ続く)

人生の最終段階の医療・ケアについては多くの人が話したことがない結果だった
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厚生労働省が発表した人生の最終段階における医療・ケアについて話し合わない理由の調査
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※女性セブン2024年11月28日号

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