「立ち上がらなくて結構です」
かつて芸能界きってのプレーボーイとして“平成の火野正平”と呼ばれたDA PUMPのISSA(45才)は、火野さんの訃報に接して自身のインスタグラムにこう綴った。
《『お前がISSAか!』番組でお会いした時に笑顔で優しく接してもらえた事は一生の宝物です》
家庭を顧みず、自由奔放に生きる夫に振り回されたのは妻とその家族だ。結婚の翌年に浮気が発覚して以後、Aさんは家に寄り付かなくなった火野さんを2人の子供を育てながら待ち続けた。
「火野さんは自分には帰る家が5軒あると豪語し、Aさんのところに戻ろうとしませんでした。愛人が2人、3人と増えていってもAさんは、火野さんの分の夕飯を作って平静を装ったのです。マスコミには『最後には私のところに帰ってくる』と気丈に語り、火野さんに『いつでも帰っておいで』と呼び掛けていました。Aさんにとっては赦すことも愛することだったのでしょう」(前出・芸能リポーター)
それでも火野さんは自分の生き方を変えようとはしなかった。不倫報道は日を追うごとに過熱し、ワイドショーの常連に。火野さんは“女の敵”と名指しされ、Aさんは女性団体に「一緒に立ち上がりましょう」とすすめられたこともあったが、「立ち上がらなくて結構です。お座りください」と冷静に返したという。その後、火野さんは“8人目”の恋人と報じられたBさんと一緒に暮らすようになり、彼女との間にも2児をもうけた。
「火野さんはBさんを母ちゃん、Aさんを“前の母ちゃん”と呼び、2人の違いは紙切れ一枚だけと周囲に語っていました。Aさんから電話で『帰っておいで』と言われたこともあるそうですが、『怖くて会えない』と冗談まじりに話していたそうです」(前出・芸能リポーター)
「波風を立てていただきたくないので、何もお答えできません」
結婚から50年以上が経っても籍を抜かず、火野さんを待ち続けたAさんは突然の訃報に何を思うのか。11月下旬、本誌『女性セブン』は関西で暮らすAさんを訪ねたが、「もう芸能界の人たちとは関係ありません。波風を立てていただきたくないので、何もお答えできません」と語るのみ。細身でショートカットの上品な女性で、自宅の表札には火野さんの本名の名字が掲げられていた。
「火野さんはBさんから、一度だけ籍のことを言われたことがあるそうです。自分が死んだ後に揉め事が起きることを心配しつつも、『前の母ちゃんにも立場がある』と言って、離婚はあきらめている様子だったとか。晩年は『恋はいいもんだよ』と言いながら、Bさんや娘さんたちと仲よく暮らし、家族で行ったハワイに散骨してほしいと“遺言”のような言葉を残していました」(前出・芸能リポーター)
亡くなるひと月ほど前、火野さんは、Bさんら家族4人で近所の居酒屋を訪れていたという。杖をついて歩き、「(腰が)痛くてさ。気を使わせちゃって、ごめんね」と言いながら、いわしの刺し身をあてにノンアルコールビールのグラスを傾けていたそうだ。
Bさんの長女によれば、家族は今際の際に火野さんの手を握り、「またね」と言って見送ったという。“火宅の人”と呼ばれ、自分の生き方を貫いた火野さんは、愛する人たちに見守られながら穏やかな顔で旅立った。
※女性セブン2024年12月12日号