人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、予期せぬまさか──そのどれに当たっても人の心は揺れ動く。特に下り坂やまさかに遭遇すると「どうして私が」と考えてしまう。だがそこで「まぁいいか」と構えられることが、人生後半戦をより生きやすくしてくれる。医師も免疫力アップにつながるという「まぁいいか」メソッド。タレント・野沢直子(61才)の生き方からも学んでいく。
負の経験も結果オーライに
お笑いタレントとして人気絶頂の28才のときに渡米を決断し、“海外出稼ぎタレント”の先駆けとして活躍する野沢直子。彼女もまた、「人生を明るく生きるにはくよくよしないことがいちばん」と話す。
「私は東京の下町生まれで、両親や祖母はみんなチャキチャキの江戸っ子でした。特に戦争や関東大震災を生き抜いた祖母はどれほどの困難があっても、『なんとかなるでしょう』と口にしていました。
私の父は絵にかいたような破天荒な人間で、子供の頃は家の中でいろいろと問題が生じたけど、祖母や母はいつも楽観的にトラブルを乗り越えていた。そんな環境で育ったので、困ったことがあると『なんとかなるでしょう』という声が聞こえてくるんです」
1993年にアメリカ人男性と結婚して1男2女をもうけるも、離婚を発表。長年連れ添った夫との別れも野沢は「なんとかなるでしょう」とポジティブに受け止めた。
「離婚したときに家をもらったんですけど、残っていたローンは自分で返済する必要があり、アメリカでアルバイトを始めました。
託児所のバイトと絨毯屋さんで商品を扱うバイトで両方とも肉体労働。ずっと芸能界で生きてきて芸能以外の仕事をしたことがなく最初は嫌でしたが、始めてみたらすごく楽しかった。離婚しなかったら芸能界の仕事しか知ることなく死んでいたと思うと、離婚してよかったとすら思えてきました」(野沢・以下同)
外からはマイナスの出来事のようにみえても、本人の捉え方次第で経験の「意味」は大きく変わる。
「私の離婚のように、負の経験のようにみえても、その先に面白いことがあれば結果オーライになる。一般的にはマイナスの経験かもしれなくても、本人の捉えようによってはまったく逆の体験に置き換えられるのではないか。最近はそう強く感じています」
マイナスをプラスに変えるのは、自分次第―“海外進出タレントの元祖的存在”と称される野沢は、若い頃は理想や向上心に急き立てられたが、海外で年齢と経験を重ねるうち、「まぁいいか」の心境がますます深まったと続ける。
「若手の頃は目標に向かって走り、それが達成できないことに悩んで苦しんだけど、年齢を重ねるうちに焦燥した気持ちが徐々に抜けていきました。
いまは肩の力が抜けて向上心が面倒臭くなり、日々楽しければ別にいいじゃんみたいな感じで、ある年齢から“今日はお天気がいい、もう人生それだけでいいじゃん”と思えるようになりました。年を取って、ますます生きやすくなっているような気もします」
日本人はもっと楽になっていい
一方で、日本には我慢や倹約、努力などを美徳とする風潮が残り、こうした風潮が老後の人生を狭める可能性があると指摘する高齢者医療に詳しい精神科医の和田秀樹さんは、「日本人はもっと自分が楽になるやり方を選ぶべき」だと言う。
「たとえば中学受験の際、行きたくもない塾に通わされてやりたくもない勉強をさせられると、勉強が嫌いになって受験やその後の人生がうまくいかない可能性があります。そうではなく、勉強を好きにさせたり、自分は頭がいいと思わせることの方が後々の人生を生きやすくする。我慢や努力を求めてプロセスにこだわるより、“どうしたら結果を出せるか”を考える方が有益でしょう」
実際に「細かいことを気にしない方が人生は楽だ」と和田さん自身が気づいたのは、東大在学中だという。
「高校時代まで節約に節約を重ねてようやく10万円貯めたけど、大学で家庭教師を始めたら時給が1万円を超えてあっという間に10万円貯まった。その経験から、我慢したり倹約するよりも、稼ぎを増やすべきとの発想を得ました。ケチケチしていろいろなことを楽しめない生き方より、稼ぎ方を工夫して楽しむ方が理に適っています。
これは高齢者も同じで、細かいことを気にしたり、“〇〇でなければならない”と考える人はうつになりやすい。こういうタイプは元気がなくなりやすいので要注意です」(和田さん)
◆野沢直子
1963年東京都生まれ。1981年に高校の同級生とコンビを組んで、「素人漫才コンテスト」へ挑戦。1984年、吉本興業入社、芸能界デビュー。1985年からレギュラー出演した『トゥナイト』(テレビ朝日系)では突撃レポートが話題となり人気を博す。1991年に日本での芸能活動を休止し、渡米。アメリカで結婚、出産のすえ、永住権を取得。以来、日本とアメリカを行き来する「出稼ぎスタイル」を確立した。
※女性セブン2025年1月2・9日号