健康・医療

《子宮全部取ったのに何で!?》女優・古村比呂(59)「がん再々再発」で絶望の淵へ「闘病のモチベーションがプツっとキレた日」【壮絶がんサバイバーの告白1】

古村の言葉は前向きだ
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黒柳徹子の実母をモデルにした1987年の連続テレビ小説『チョッちゃん』でヒロインを演じ、一躍人気女優の仲間入りをした女優・古村比呂(59才)は、これまで4度にわたって「がん宣告」を受けた経験がある。子宮頸がんに始まった13年にわたるがんとの闘いや、激しい抗がん剤の副作用、絶望の淵でも救いになった3人の息子たちへの思いを語った。【全3回の第1回】

――子宮頸がんが見つかったのが2012年。発見は検診がきっかけだったそうですね。

「人間ドックは毎年受けていたものの、婦人科系の項目は出産時に受けたから大丈夫だろうと甘く見ていた面がありました。軽い気持ちで検診を受けたところ『子宮頸がん』だと診断されました。お正月の寒い時期で、お昼に結果を病院で聞いたんですけど、ちょっと現実を受け入れられなかったのもあって、病院近くの川のほとりでぼーっとしていました。気づいたら夕方で、寒くなって“帰らなくちゃ”って。それくらい、自分の身に起きたことだとは信じられない気持ちでした」

――古村さんは1992年、1995年、1997年と男の子を3人出産されていますね。つまり婦人科系の健診を最後に受けたのが三男出産時の1997年。それから15年後に子宮頸がんが見つかったわけですが、かなり早期の発見だったと。

「特に体がサインを出していたわけではありませんでした。がんも小さく、当初はレーザーでの部分切除で済むだろうと。発見から1か月後に切除をしたんですが、病理検査をしたところ、がん細胞の一部が浸潤していることがわかりました。お医者さんから“全摘出が必要”と言われて、すぐ手術の日取りを決めて、その日のうちに手術のために病院の様々な科を回ることになりました。正直、号泣しながらで、マスクの下はグショグショでした。当初、お医者さんも全摘出までいくとは言ってなかったんですよ。だからまったく心づもりがなくて。

不安の中でがん治療に臨んだ(本人提供)
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全摘出は、6時間もかかる手術でした。体への負担は大きかったです。全身麻酔の大がかりな手術への不安はありましたし、術後身動きが取れなくて、“ああ、こうして人の体は弱っていくんだな”と妙にリアルに感じていました」

インタビューに答える古村
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子宮全摘出から5年後に、子宮頸がんが「再発」

――全摘出以降は、しばらくがんとは無縁だったようですね。

「2度目のがんがわかったのは、2017年の3月です。子宮を全摘出してから丸5年が経ったときでした。5年間は、再発しないように気をつけていました。自分でできることとしては、食事や生活習慣を変えることは大切かなと思ってやっていましたし、適度な運動をしたり、旬なものや無農薬なものを出来るだけ取り入れるとか。でも、再発してしまった。しかも子宮頸がんです。“全部取ったはずなのに、なんで!?”という感じですよね。再発がわかる前には、なんとなく下腹部の熱っぽさがあったのを覚えています」

――再発では、外科的手術ではなく抗がん剤と放射線治療を行ったそうですね。

「手術とは異なり、抗がん剤の副作用の負担はとても大きいものでした。でも薬の効果はあって、再発から半年後の2017年8月にはお医者さんから寛解と言われました」

――3度目のがんは、それからわずか3か月後の2017年11月でした。

「寛解と言われて、やったー!って、頑張った甲斐があったなって喜んだ3か月後に再々発ですからね。かなり気分が沈みました。1日だけ急に寒気がして高熱が出た日があったんですけど、自覚症状はありませんでした。ドラマや舞台も決まって生活も充実していたのに、肺とリンパ節などに転移していて。“全身にがん細胞が広がっています”って言われるのは、堪えますよ。ジェットコースターに乗っているみたいで“あんなに頑張ったのはなんだったの?”って、がんと闘うモチベーションがぷつっと切れた感じでした。

再々発を宣告された日のことはショックで断片的な記憶しかありませんし、どうやって家に帰ったのかも覚えていません。“もう後がない”と思ったことだけは覚えています。転移していたので、治療についてはお医者さんも“他の科と相談して検討します”という感じでした。ブログも当時はほとんど更新できませんでしたし、受け止めるには時間がかかりました」

現在も抗がん剤治療を続けている
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――仕事が気を紛らわせる部分もあったようですね。

「京都でドラマの撮影がありました。自宅から離れて、病気のことを考えずに仕事に没頭できたのは救いでした。近くに住む私の母も、私の病気が原因で精神的に参ってしまったことがあったんです。まだ母には再々発のことは伝えてなかったので、母と少し距離を置けたことも、結果的には良かったと思っています」

医師の言葉に「私も諦めないで治療しよう」という気持ちが固まった

――3度目のがん治療は、約1年続きました。

「その時、幸いにも抗がん剤が効いてくれて、1年で治療を終えたのですが、3度目のがんがわかった時点で、“もう完治は難しい”と言われていました。治療がうまくいって経過観察になってからも、期待半分はありつつも、不安はずっと残っていました。それでも、4年近くまた音沙汰がなかったから、“このままいければいいな。良くなっていくんじゃないの?”と、時間の経過とともに気持ちはずっと前向きになっていました」

闘病を語った古村
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――4度目のがんは、2023年1月にわかりました。

「腹部傍大動脈リンパ節にがんが見つかりました。2度目のがんも最初のがんから5年目だったので、“また5年なの!?”っていうショックが大きかったです。でも、お医者さんが“治療法はまだあります。私はまったく諦めていません”と力強く言ってくださって、私も諦めないで治療しようと気持ちが固まりました。いまは抗がん剤治療を続けています。何回で終わりとか、いつまでという期限は決まっていません。いまのお薬で効果が出ているので続けましょう、というところです。11月に受けた検査でも問題はなくて、経過良好だと言われています」

襲いかかるがんとの闘いで、古村は 「抗がん剤」の力を頼った。効果はあった一方、抗がん剤はさらに古村を苦しめた――。

【全3回の第2回】へ続く

 

取材・文/伏見 友里 写真/横田紋子

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