――再発では、外科的手術ではなく抗がん剤と放射線治療を行ったそうですね。
「手術とは異なり、抗がん剤の副作用の負担はとても大きいものでした。でも薬の効果はあって、再発から半年後の2017年8月にはお医者さんから寛解と言われました」
――3度目のがんは、それからわずか3か月後の2017年11月でした。
「寛解と言われて、やったー!って、頑張った甲斐があったなって喜んだ3か月後に再々発ですからね。かなり気分が沈みました。1日だけ急に寒気がして高熱が出た日があったんですけど、自覚症状はありませんでした。ドラマや舞台も決まって生活も充実していたのに、肺とリンパ節などに転移していて。“全身にがん細胞が広がっています”って言われるのは、堪えますよ。ジェットコースターに乗っているみたいで“あんなに頑張ったのはなんだったの?”って、がんと闘うモチベーションがぷつっと切れた感じでした。
再々発を宣告された日のことはショックで断片的な記憶しかありませんし、どうやって家に帰ったのかも覚えていません。“もう後がない”と思ったことだけは覚えています。転移していたので、治療についてはお医者さんも“他の科と相談して検討します”という感じでした。ブログも当時はほとんど更新できませんでしたし、受け止めるには時間がかかりました」
――仕事が気を紛らわせる部分もあったようですね。
「京都でドラマの撮影がありました。自宅から離れて、病気のことを考えずに仕事に没頭できたのは救いでした。近くに住む私の母も、私の病気が原因で精神的に参ってしまったことがあったんです。まだ母には再々発のことは伝えてなかったので、母と少し距離を置けたことも、結果的には良かったと思っています」
医師の言葉に「私も諦めないで治療しよう」という気持ちが固まった
――3度目のがん治療は、約1年続きました。
「その時、幸いにも抗がん剤が効いてくれて、1年で治療を終えたのですが、3度目のがんがわかった時点で、“もう完治は難しい”と言われていました。治療がうまくいって経過観察になってからも、期待半分はありつつも、不安はずっと残っていました。それでも、4年近くまた音沙汰がなかったから、“このままいければいいな。良くなっていくんじゃないの?”と、時間の経過とともに気持ちはずっと前向きになっていました」
――4度目のがんは、2023年1月にわかりました。
「腹部傍大動脈リンパ節にがんが見つかりました。2度目のがんも最初のがんから5年目だったので、“また5年なの!?”っていうショックが大きかったです。でも、お医者さんが“治療法はまだあります。私はまったく諦めていません”と力強く言ってくださって、私も諦めないで治療しようと気持ちが固まりました。いまは抗がん剤治療を続けています。何回で終わりとか、いつまでという期限は決まっていません。いまのお薬で効果が出ているので続けましょう、というところです。11月に受けた検査でも問題はなくて、経過良好だと言われています」
襲いかかるがんとの闘いで、古村は 「抗がん剤」の力を頼った。効果はあった一方、抗がん剤はさらに古村を苦しめた――。
【全3回の第2回】へ続く
取材・文/伏見 友里 写真/横田紋子