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大仁田厚、意識が遠のくなか病床で見た不思議な景色と聞こえてきた“おふくろの声”を振り返る「“おれは死なない”という妙な自信がついた」

生死の境をさまよう経験をしたプロレスラーの大仁田厚
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人が死を迎える瞬間には特別な風景が見える──誰しもそんな話を聞いたことはあるだろう。しかし、その風景を実際に見て記憶しているという人はほとんどいない。いったい、どんな景色が見えるのか──。プロレスラーの大仁田厚が、貴重な体験を振り返る。

目の前に突然、巨大なヒグマが現れ…

ノーロープ有刺鉄線電流爆破など過激なデスマッチで知られる大仁田。死と隣り合わせの危険な試合を年間250試合もこなす「涙のカリスマ」の肉体は、そのとき限界に近づいていた。

1993年2月、扁桃炎を患った大仁田は試合後に呼吸困難を起こして救急車で病院に搬送された。意識がもうろうとするなか、医師が懸命の処置をしたが効果はなかった。

病院に搬送された後に意識が遠のいていく(写真/PIXTA)
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「当時は毎試合、流血とけがをしていたので毎日のように抗生剤を使っていたんです。それで薬が効かなくなってしまいました」(大仁田・以下同)

扁桃炎からの敗血症を発症した大仁田はやがて呼吸不全に陥り、意識が次第に遠のいていく。そしてふと気づくと、川の上で優雅に船に乗っていたという。

「そこから川岸に飛び移ってスナックのような店に行きました。すると場面がヨーロッパの牧場の風景に切り替わり、視線の先にある大きな木に向かって歩き出すと、“いいのよ、休みなさい”というおふくろの声が聞こえてきました」

呼び声のする方を振り返った瞬間、またもシチュエーションが変わって、今度は雪山を進む探検隊の先頭に立っていた。頭の中で状況を理解できず、「まいったな」と思いながら歩いていると、目の前に突然、巨大なヒグマが現れたという。

「後ろの人らを守るためにレスラーである自分が戦わなければと思い、責任感に押されて大きなヒグマに向かっていきました。でもやつは強く、太い腕で頭をガツンと殴られて“痛え!”と思った瞬間に目が覚めました」

病院のベッドで意識を取り戻したとき、ぼんやりした頭で医師に「おれはヒグマに殴られたから、治してください」とお願いした。

「実際に左側頭部が腫れてたんこぶができていたので、本当にヒグマに襲われたのだと疑いませんでした。

医者はおれが混乱しないように話を合わせてくれて、その後体力が回復してから敗血症で8日間、昏睡していたことを知りました」

生きる力を与えてくれた「おふくろの声」

夢とは全然違う感覚で、妙にリアリティーがあったというこの体験。生きる力を与えてくれたのは「おふくろの声」だったと振り返る。

「牧場の大きな木に向かって歩いていたとき、おふくろの声が聞こえなくて大木に辿り着いていたら、死んでいたんじゃないかな。目が覚めたとき、病院にいたおふくろに声が聞こえたことを伝えると、“よくがんばったね”と言われました」

鹿児島市立病院の集中治療室には2週間ほどいた。写真は意識を取り戻してから8日目の1993年3月9日の様子(写真/東京スポーツ新聞社)
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実際にこんなことがわが身に起こるとは思っていなかったが、病床で目まぐるしく移り変わる生死の境を頭と体で感じたのだ。

「病室で目覚める直前、体につながれた無数のチューブを無意識のうちに抜いたみたいで、たまたま血管の専門医だった当直の先生がチューブを入れ直してくれたそうです。

また、昏睡中に医師団が、“この薬が効かなければ手の打ちようがない”と取り寄せた抗生剤が奇跡的に効いたことも後から知りました。いろんな運が重なって命が助かったことがわかって、“おれは死なない”という妙な自信がつきました」

わずか1か月半後の復帰戦では、死にかけたレスラーとは思えないファイトを見せた。その後、腹部大動脈瘤と診断されて「破裂したら死にますよ」と医師に宣告されたこともあったが、迷わずリングに上がった。

危険な戦いを続けられたのは、あの日の経験があったからだと語る。

「何があろうと自分は大丈夫と思えたから、メインイベンターとして団体を守るため死に物狂いで試合を続けました。誰しも寿命があるから死ぬのは仕方ないけど、つい“おれは死なない”と思ってしまいます(笑い)」

死の間際から戻ってきた経験が、人に生きる自信を与えるのかもしれない。

プロレスラーの大仁田厚
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【プロフィール】
大仁田厚/プロレスラー。1957年、長崎県生まれ。1973年、15才で全日本プロレスに新弟子1号として入門以降、「電流爆破デスマッチ」など激しい戦いで人気を博す。2001年から参議院議員を1期6年務め、文教科学委員会理事などを歴任。

※女性セブン2025年2月20・27日号

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