山川豊、ステージ4の肺がんとの闘い「いまの医療は日進月歩。本当にありがたい」兄・鳥羽一郎と2人の甥と“木村家ファミリーコンサート”で熱唱「いつか4人で紅白に」
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がん闘病を公表してから約1年。落ち込んだこともあったが、兄の叱咤、息子や元妻のサポートを受けて、不屈の男はついにステージ復帰を果たす。歌うことは人生であり、生きる喜びだと再確認した彼が語り尽くす、歌手人生の来し方行く末。
脊髄や脳への転移を聞いて目の前が真っ暗に
「医療の進歩は本当にすごい。脳に転移したがんはだいぶ小さくなったし、脊髄の方はすっかり消えてなくなりました。肺はまだ治療中ですが、いまの自分には“現状維持”がすごく大事なことなんです」
笑顔でこう語るのは、昨年1月に肺がんを患っていることを公表した演歌歌手の山川豊(66才)。1981年のデビュー曲『函館本線』や『アメリカ橋』など数々のヒット曲があり、兄の鳥羽一郎(72才)と共に“演歌界最強の兄弟”とうたわれた、NHK紅白歌合戦の常連歌手である。肺がんが判明したきっかけは、2023年10月にかかりつけの病院で受けた血液検査だった。
「自覚症状はまったくなくて、最初は近所の病院に胃腸の検査に行ったんですよ。すると、前年は8だった腫瘍マーカーの数値が78に跳ね上がっていた。先生に『これはちょっと異常だよ』と言われて、がんの疑いがあると。慌てて別の病院で検査を受けたら、ステージ4の肺がんでした。
ある程度は覚悟を決めていたので、告知は淡々と受け入れました。それでも、やっぱり、後からドーンと来てね。“ああ、もうダメだ。完全に終わった”と思いましたよ」(山川・以下同)
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医師から脊髄や脳にも転移していると聞いて、目の前が真っ暗になった。山川は、すぐに兄の鳥羽に電話をかけたという。
「当時はパニック状態だったので、何を話したのか自分でもよく覚えていないんです。後で兄貴に聞いたら、『田舎へ帰りたい』とか『亡くなったら墓をどうしよう』とか、弱気な話ばかりしていたみたいですね」
電話口で山川の声を聞いた鳥羽は「馬鹿野郎!」と一喝。弱音を吐く弟に「どんなことがあっても治せ」と発破をかけたという。
「やっぱり、海の男は気合が違います。そもそも、おれが学校に行けたのは兄貴がかつお漁船に乗って家計を助けてくれたおかげです。兄貴がいなければ歌手になれていなかったし、いまの自分はないでしょうね。若い頃から苦労をかけてきたので、何とか頑張って病気を治すことがせめてもの恩返し。そのためにも一日でも元気でいないといけないと思っています」
この数年、山川は私生活でも荒波続きだった。歌手活動40周年の節目を迎える直前の2020年末に、デビュー時から所属していた「長良プロダクション」を退社。翌年、約30年連れ添った妻と離婚し、都内の高級住宅街に建つ豪邸は彼女のものとなった。
「いつその日が来るのかと」
「コロナ禍に借金して会社を立ち上げたり、離婚したり、いろいろなことが重なって、ストレスがガッと一気に来たのかもしれませんね。前の女房には、仕事、仕事で、家のことも子育ても任せきりでした。これからは好きに生きていこうとお互いに話し合って、円満に別れることにしたんです」
離婚後は離れて暮らしていたが、ステージ4と告知されたときは元妻も病院に駆けつけたという。
「血液検査の結果を娘に言ったら、『すぐママに伝えて!』と言われてね。迷惑じゃないかなと思いつつ連絡したら、わざわざ病院に来てくれたんです。いま自分のマネジャーをやっている長男も立ち会ってくれて、家族で一緒に先生の話を聞けたのは心強かった。
前の女房は病気のことを一生懸命、調べてくれて、ブロッコリーとかいろんな栄養が入ったスープを作ってくれるんです。とても手が込んでいて、気持ちもこもっているから感謝しながら飲んでますよ」
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毎朝6時半に起床。白湯を飲み、バナナと豆乳、そして抗がん剤をのむ。昼はしっかり食べ、3度目の食事に元妻の特製スープを飲むという。
「食欲は旺盛で、けっこうな量を食べるんですよ。事務所の近くにある弁当屋さんがおいしくてね。抗がん剤は『タグリッソ』という薬を1日1錠。昔はなかなか合う薬が見つからないといわれていたけど、いまは遺伝子レベルで調べることができるんですね。
発疹が出たり、ひどい口内炎ができたり、さまざまな副作用に悩まされましたが、自分にはすごく合っているようです。ただ、先生が言うには、いまの薬は2年もしたら効果がなくなる可能性がある。その後は、別の抗がん剤を見つけなければならず、いつその日が来るのかとヒヤヒヤしています。
それに、この薬は間質性肺炎になりやすいのでそこだけは気をつけないといけません。時々、不安になって誰もいなくなっちゃうような怖い夢を見るんです。逆に、お世話になった人たちや、兄貴も何度も夢に出てきました。もういいよって言うくらい励ましてくれるんです(笑い)」