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旧ジャニーズ事務所社長・藤島ジュリー景子氏、「告白本」には書かれなかった嵐の活動終了までの“真実” 分裂寸前の事態が一変した2017年の出来事

インタビューで嵐との関係を語った藤島ジュリー景子氏(時事通信フォト)
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旧ジャニーズ事務所“最後の社長”藤島ジュリー景子氏への40時間以上に及ぶインタビューをまとめた書籍『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』(新潮社)が7月18日に出版される。

インタビューでジュリー氏は櫻井翔、相葉雅紀、松本潤といまも《対等に近い関係》だと語り、大野智とは《会えば仲良し》だと説明。一方で、二宮和也との間には大きな溝があるようで、《近年二宮とは距離があります》と唐突に告白したことがファンや関係者に衝撃を与えた。強烈な個性を発揮した母と叔父の下、国民的アイドルを作った彼女の25年。本誌『女性セブン』だけが書ける、とっておきの裏話をおくる──。【前後編の後編】

「あなたたちは八百屋の野菜」

嵐が結成されたのは1999年。当初はフジテレビとのタイアップ企画で、バレーボールW杯のイメージキャラクターとして集められた5人組だった。デビュー曲『A・RA・SHI』は97万枚を売り上げる大ヒットを記録。華々しい船出を飾ったが、その後は苦戦続きだった。

「翌年発売された『SUNRISE日本』の売上枚数は前作の半分以下。シングルを出すたびに売り上げは低迷し、当時の旧ジャニーズ事務所はレコード会社に『もっと派手に売ってくれ』と発破をかけていました」(当時を知るレコード会社関係者)

転機が訪れたのは2005年。ドラマ『花より男子』(TBS系)に出演した松本が脚光を浴び、2008年に公開された映画版が80億円近い興行収入を叩き出したのだ。

嵐に本気になるきっかけを作った松本
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「日本中に“花男ブーム”が巻き起こり、嵐が再ブレークするきっかけとなりました。同時期に櫻井さんが『news zero』(日本テレビ系)のキャスターに就任し、相葉さんが司会を務める『天才!志村どうぶつ園』(同)も高視聴率を記録。それぞれのメンバーが目覚ましい活躍を遂げ、二宮さんが出演したハリウッド映画『硫黄島からの手紙』(2006年公開)がアカデミー賞にノミネートされたときは、ジュリー氏は涙を流さんばかりに喜んでいたといいます」(テレビ局関係者)

所属タレントを「うちの子」と呼んでいたジュリー氏にとって、期待以上の成績を上げた嵐は、自慢の子供たちだった。一方で、不良っぽさを売りにしていたKAT-TUNのメンバーとは決して相性がよかったとは言えないようだ。元所属タレントが明かす。

「ジュリーさんはマナーに厳しい人で、好き嫌いがはっきりしている。行儀のいい亀梨和也さんを目にかける一方で、態度の悪い赤西仁さんや田中聖さんは露骨に避けられていました。あるメンバーは、“あなたたちは八百屋の野菜。汚れたら売り物にならない”と、独特な表現で活を入れられたそうです」

二宮が週刊誌を握りしめて

ジュリー氏の寵愛を受けて、順調にスターダムにのし上がった嵐。不穏な空気が漂いはじめたのは2016年頃のこと。発端は、二宮と元フリーアナウンサーの女性の半同棲がスクープされたことだった。

「旧ジャニーズ事務所は、タレントの恋愛に寛容で、よほどのことがない限り口を出すことはなかったが、嵐だけは別。“解散するまで結婚はダメ”と言われたメンバーもいたそうです。二宮さんの恋愛は多くのファンを悲しませたが、彼は気にとめる様子もなく、忠告するスタッフに逆ギレ。自分のことを書かれた週刊誌を握りしめて事務所に怒鳴り込んだこともあったそうです」(芸能関係者)

ジュリー氏のお気に入りだった亀梨
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二宮の反抗的な姿勢にほかのメンバーは困惑し、嵐は一時、険悪な仲に。二宮が孤立して、コンサートが中止寸前になるほどの危機に陥ったこともあったという。分裂寸前の事態が一変したのは2017年。大野がメンバーに「一度、嵐を離れてみたい」と申し出たことがきっかけだった。

「大野さんの切実な思いを知った二宮さんは態度を改め、嵐のことをいままで以上に真剣に考えるようになったといいます。退所を決意していた大野さんを優しく諭し思いとどまらせたのはジュリー氏です。2019年11月に二宮さんが結婚を発表したときも、彼女は彼の決断を尊重し、心から祝福していたそうです」(前出・芸能関係者)

“告白本”には書かれていないであろう、嵐との出会いから、活動終了発表までの真実。ジュリー氏の25年分の思いを受け止め、来春、嵐は有終の美を飾る。

※女性セブン2025年7月3・10日号

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