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リポーター・菊田あや子さんが明かす‘私が親を看取った瞬間” 「一日でも長くママを生かす」という思いが通じて過ごした最後の1か月 

親を看取った瞬間を明かす菊田あや子さん
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いざ「親を看取る瞬間」が訪れたとき、どんな思いが胸にあふれるだろう──。母の看取りを経験したリポーターの菊田あや子さん(65才)に話を聞いた。

「認知症が進んでいて、ひとりで暮らすのはもう限界です」

2011年、かかりつけ医からそう言われたことをきっかけに、菊田さんの母は86才でケアハウスに入居した。

「父が亡くなってから6年ほど山口県の実家でひとり暮らしをしていたママは少しずつ認知症が進行していて、身の回りの整理ができなくなっていたんです。私は東京で仕事があったので、ママが安心して暮らせるように施設への入居を決めました。でも、実際にママが家を出るときは、姥捨て山に捨てるような気持ちになりました」(菊田さん・以下同)

だが、ほどなくして母は入退院を繰り返すようになった。「私がママを支える」と決意し、認知症について学んだ菊田さんは、時間を見つけては母を実家に連れ帰るようになった。

「実家に帰るとママは“うわあ、おうちに帰ってきたね”と喜んでくれました。当時の私は、“とにかく一日でも長く生きてほしい、絶対に死なせない”という思いで介護に励みました」

それでも、母はほぼ寝たきりになり、療養型の病棟に移った。口から食べられなくなって栄養点滴を入れた。しかしやがて、その点滴も血管に入らなくなる。中学時代からの友人であり看護師長の水野佳代子さんのすすめで、菊田さんは2019年12月初旬、94才の母を連れて実家に帰ることに決めた。

「点滴もできないということは、あと数日の命だということ。当時の私は、それをよく理解していませんでした。家に帰っても一日でも長く生かすつもりで、介護ベッドを導入して毎日ママと一緒にいて声をかけ続けました」

母・明子さん(右)と菊田さん
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菊田さんと母は一緒にクリスマスを迎え、奇跡的に年を越すこともできた。2020年の正月。ついにそのときがやって来た。

「1月5日の朝、起きたときにもうママは持たないなと思いました。大阪から来た兄に“もう、いつまでもママを引き止めるな”と言われ、私は泣きながら“わかってる”と答えました。それまで私の口から出る言葉は“ママ頑張ろう”“ママまだ行けるぜ”だったけど、そこからは“ママありがとう。本当に大好き、愛しているよ”に変わりました」

2日後、母の呼吸が急に激しくなり、血色を失った顔は土留め色になった。

「口をパクパクさせて、それが最後の呼吸でした。看取った瞬間の私の気持ちは“これが死ぬってことなわけ?”。『大往生』という言葉はピンとこず、命の限り生きて、最後の炎が燃え尽きたような感じでした」

それでも、母を自宅で看取れたことに感謝していると話す。

「水野さんのすすめで自宅に帰らなかったら、そのまますぐに病院で亡くなっていたかもしれません。連れて帰って、死なせないのが命題だと思っていたからこそ、そこから1か月以上もママと一緒に過ごして、看取ることができた。何も後悔はありません」

【プロフィール】
菊田あや子/タレント、リポーター。「日本一食べている女リポーター」として、ワイドショーなどを中心に活躍。母の死後は認知症サポーターと終活ガイドの資格を取得。終活協議会理事も務める。

※女性セブン2025年8月21・28日号

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