
さまざまな職業を経験しているのが、女性セブンの名物ライラー“オバ記者”こと野原広子氏。今回は、オバ記者が“芸人のマネジャー”時代を振り返る。
「林家ペー・パー子」のマネージャー
9月19日、林家ペー・パー子宅から出火したニュースは各所で報じられた。その一報を友人のAちゃんから受けた私は、目の前の仕事を急いで片付けて、赤羽駅(東京・北区)に向かった。そして、ぺーさんにメールを打った。「赤羽駅にいます。何なりと申しつけてください」と。
待つこと2時間。返信はなく、そのまま帰ってきた。
さぁ、それからだ。翌日からペーさんと毎日のようにLINEや電話で連絡を取り合うこととなった。ペーさんが出演する浅草演芸ホールに行き、マスコミ対応の手伝いをしたり、困ったことの相談にのってあれこれ調べたり、代わりに動いたり、気がつけば、25年前のマネージャー業に後戻りをしていた。
そう──これはあまり言ってなかったけれど、26年前、41才だった私は「林家ペー・パー子」のマネージャーをしていたの。取材でお二人と出会い、ペーさんから「アルバイト感覚でやってみない?」と誘われて引き受けたの。
テレビ出演のときはぺーさんが車で私の家の近くまで迎えに来て、車中で聞く芸能界の裏話が面白いのなんの。時には助手席のパー子さんと本気の夫婦げんかがおっ始まったりするんだけど、それすらコント。何度噴き出したことか。テレビ局に着いたら、楽屋まで衣装や手荷物を運ぶ。そして共演するタレントへの楽屋挨拶に付き添い、出番前に彼らが衣装に着替えたら後はもうすることがない。

その点、地方公演は腕の見せどころだ。主催者が公演慣れしていないから、ギャラの交渉から細かな決めごとまでを事前にする。「お昼ご飯のご用意はありますか? 駅からはタクシーで会場入りですか? そのときのタクシー代はこちら持ち? どなたか迎えの車を用意できませんか?」などなど、あらゆることを想定してどんどん決めていくわけ。やってみてわかったんだけど、私、そういうことが好きだったのよね。
だけど、ペーさんは発想が一般常識とはかけ離れている。よくも悪くも、根っからの芸人なんだよね。たとえば今回のことでお二人の年齢(ペーさんは83才、パー子さんは77才)が盛大に広められたわけだけど、それまでは年齢非公開。当時の私には、「なんで?」と納得がいかなかったし、結果的にそれが原因で私たちは疎遠になった。でも、ある芸能プロダクションのマネージャーに言われたの。「疑問に思う方が間違ってる。マネージャー業に本気で取り組むのなら、タレントが年齢非公開という方針であれば、それを死守すべきだ」と。
そうなんだよね。仕事はなんでもそう。できる・できないじゃなくて、本気でやり続ける気があるかどうかが、どこかで試される。いま思えば、私はそこまで本気になりきれていなかったんだわ。
「野原さんの連絡先を知りたい」
それから四半世紀がたった今年7月初旬、ペーさんが女性セブン編集部にいきなり電話をかけてきた。「野原さんの連絡先を知りたい」とおっしゃったそうで、電話に出た人はそうした過去なんて当然知らないから、「教えられません!」とすげない返答をしてしまったそう。礼を失したことを知って、私の方からあわてて連絡を取り直して感動の再会を果たすことになるんだけど……その2か月後に出火の報。ほんと、人生って何があるかわかんない。
再会したぺーさんに私はお礼を言った。「あのとき、付かせてもらったおかげでオバ記者になれました」と。撮影のときのテンションの上げ方とか、見ているうちに覚えちゃったことがいまに生かされているのよ。

それにしても、浅草演芸ホールの楽屋にショッキングピンクの衣装で現れたペーさんは憔悴しきっていた。「ほんとにもぅ、ご迷惑をおかけした皆さんに、なんてお詫びしたらいいことか」と言いながら、ペタンと座り込む肩ががっくり落ちている。焼け残った衣装の胸のあたりにススがついていて一瞬ギョッとする。
その楽屋に同席していたのが、弟弟子の林家たい平さん。たい平さんはAちゃんと親交があって、その流れで私とも面識がある。つい最近も彼らの飲み会に参加させてもらったばかりだ。
たい平さんたちは、ペー・パー子さんを少しでも元気づけようと、今回の火事のチャリティー寄席を企画しているという。有事のとき、人の情ってストレートに届くんだね。ペー・パー子さんは、なんとか立ち直ろうという気持ちになっている。
ご迷惑をかけてしまったかたがたへのお詫びや対応はまだ道半ばだけど、いずれにしても私は元マネージャーとしてやれるだけのフォローをしたいと思っている。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2025年10月30日号






