
大成功のうちに幕を下ろした、愛子さまにとって初めての海外公式訪問。穏やかな笑みと、国際親善にかける人並み外れた思いは、日本とラオスの国民の心に深く響くものだった。そして間近に控える人生の節目に、愛子さまは思いを新たにされて──。
11月17日からの6日間の日程で、愛子さまがラオスを訪問された。初の海外訪問を終え、成年皇族として着実にステップアップを果たされた愛子さまは、来る12月1日、24才のお誕生日を迎えられる。
愛子さまに国際親善のあり方を伝授されてきた母・雅子さまは、24才の当時、何をされていたのか──。遡ること38年前。雅子さまはその年外務省に入省し、キャリア官僚としてのスタートを切った。
「ハーバード大学経済学部を優秀な成績で卒業された雅子さまには、アメリカの名だたる金融機関や証券会社から、いくつもの就職の誘いがありました。しかし雅子さまはそれらをすべて断り、日本で外交官になるために帰国することを決断。“外交官として、世界から日本を見たい”というお考えがあったからだといいます。その後、東大に編入し、日本の法律や憲法などを一から猛勉強。超難関を突破し、外交官試験に合格されました」(皇室ジャーナリスト)
晴れて外交官になられた24才の雅子さまは、激務の日々を過ごされていた。

「OECD(経済協力開発機構)の窓口である、経済局国際機関第二課という部署に配属され、各国間で調整が難しい環境問題の政策立案に取り組まれました。配属2日目から早速徹夜となり、連日深夜まで身を粉にして働かれていたそうです」(前出・別の皇室ジャーナリスト)
女性外交官が大変珍しかった当時、入省から間もない雅子さまは朝日新聞の取材を受けている。《花の同期がネットワーク》というタイトルの記事で、東京・霞が関の官公庁にようやく増え始めていた女性キャリア官僚に焦点を当てる内容だ。
記事中で当時の雅子さまは、《夜2時に帰宅したら、母にきょうは早いわね、と言われちゃいました》とその激務ぶりを明らかにしている。さらに、雅子さまは24才にして、確固たる仕事観を抱かれていたようだ。インタビューにはこうした記述もある。
《仕事を持って生きる、ということに迷いはない。『ハーバードでは、女性でも仕事をもつのが当たり前でしたから』『ただ、いよいよ外務省から内定をもらった時、これで自分は結婚できないかもしれない、とも……。両立させたいですね』》
国際赤十字の社長と懇談
愛子さまはいま、雅子さまがご自身の将来を見据え、刻苦勉励されていた年齢を迎えようとされている。
「愛子さまが今回のラオスご訪問で見せられたような、目標のためにたゆまぬ努力を重ねられる姿勢は、雅子さま譲りのものです。愛子さまは日頃から、平日は日本赤十字社での勤務をこなしながら、ご公務にも励まれるというハードワークをこなされています。
雅子さまがキャリア官僚としていきいきと働かれていた年齢を迎え、“母の生き様”をご自身に重ねていらっしゃるのではないでしょうか。今回のラオスでの奮闘ぶりも、当時の雅子さまの働きぶりを彷彿とさせるものがありました」(前出・皇室ジャーナリスト)

また、雅子さまは24才当時、外務省の制度を利用したイギリス・オックスフォード大学への留学を翌年に控えていた。
「愛子さまも、こうした雅子さまのキャリアを意識されているかもしれません。赤十字社は世界191か国に拠点を持っていて、中でも日本赤十字社は職員を『国際要員』として海外の拠点に派遣する制度が整えられている。今回のラオスご訪問を経て、愛子さまの海外への意識は間違いなく高まったといえます。愛子さまはこうした海外派遣の制度を利用して、海外で知見を深められることも考えていらっしゃるのではないでしょうか。
実際、愛子さまは今年9月、御所で両陛下とご一緒に国際赤十字社・赤新月社連盟会長であるケイト・フォーブス氏と御所で懇談されています。そのとき、海外派遣の可能性も含めて相談が行われていてもおかしくない」(前出・皇室ジャーナリスト)
雅子さまが、外交官としての経験も生かしながら、皇室での国際親善に努めたいと陛下のプロポーズを受け入れられたのは、29才の誕生日を迎えられた直後のことだった。それから33年──国際親善デビューを果たされた愛子さまの歩みがまたひとつ母の生き様に重なった。
※女性セブン2025年12月11日号


















