エンタメ

《大河ドラマ『豊臣兄弟!』で仲野太賀が熱演》豊臣秀吉を支えた弟・秀長の素顔を人気歴史学者が解説

豊臣秀長
“豊臣政権のナンバー2”といわれるも謎の多い豊臣秀長(写真/アフロ)
写真28枚

尾張国で貧しい家に生まれた子供が、“天才的な武将”と称された織田信長に仕え、メキメキと頭角を現し天下統一を果たす――一代で成り上がった豊臣秀吉の生涯はこれまでも『太閤記』(1965年)、『秀吉』(1996年)とNHK大河ドラマで描かれてきた。今作『豊臣兄弟!』の主役は秀吉ではなく弟の秀長(仲野太賀)。兄の「右腕」であり天下統一の「立役者」でもあるというひとりの武将の“やばい真実”を大人気歴史学者の本郷和人さんが徹底解剖。彼が晩年を過ごし、ロケ地となった奈良県・大和郡山の魅力とともにお伝えする。

3分でわかる「豊臣兄弟」の生き様

天才軍師の下で才能を発揮し出世する兄・秀吉と、天下統一を見届けてこの世を去った弟・秀長。

【豊臣秀吉】「貧しい家」に生まれ18才で織田信長に出会う

織田信長、徳川家康と並び、「戦国三英傑」と称される秀吉。生まれは農家とも足軽の家ともいわれ、諸説ある。いずれにしても貧しく身分の低い生まれだったが、今川氏の配下にあった松下之綱に仕えたことから天下統一への道が切り開かれた。18才で織田信長に仕えると、信長の居城であった清洲城(愛知県)の修復をわずか3日で完成させ、信頼を得たという。

「人たらしと呼ばれ、人心掌握術に長けた愛されキャラだったことは広く知られています。一方で、過酷な兵糧攻めや水攻めなど非道な作戦を実行する一面もあった。信長の草履を懐で温めた有名な逸話から“気遣いの人”ともいわれますが、信長と同じくらい気性の激しい人物だったとも考えられています」(本郷さん・以下同)

豊臣秀吉
「戦国三英傑」と称される豊臣秀吉(写真/アフロ)
写真28枚

信長の家臣として、「桶狭間の戦い」(1560年)、「金ヶ崎の戦い」(1570年)、「姉川の戦い」(1570年)などいくつもの戦で軍功をあげ信長が目指す全国統一事業に貢献。本能寺の変で信長が謀反に遭い自害した後、信長の家臣であった柴田勝家との戦い(賤ヶ岳の戦い)に勝利し継承者となった。

秀吉といえば大阪をイメージするが、実は京都にも拠点を持ち縁が深い。大規模な都市改造を行い、聚楽第と呼ばれる壮大な邸宅や伏見城を築き、北野天満宮では「北野大茶会」も催した。天下統一後は中国征服の野望を持ち、朝鮮に協力を求めたが拒否され、2度の朝鮮出兵を決断。秀吉の死をもって終結した。

農民から天下人まで

1537年 尾張国中村で誕生、日吉丸と名づけられる
1551年 武将・松下之綱に仕える
1554年 織田信長に仕え、清洲城の修復に成功
1560年 織田信長が今川義元を討った
「桶狭間の戦い」に出陣
1561年 ねねと結婚
1571年 織田信長による比叡山焼き討ち
1574年 近江国(滋賀県)に長浜城を築く
1582年 本能寺の変で織田信長が自害
1583年 大坂城を築城
1585年 関白に任命される
1586年 豊臣秀吉に名前を変え、太政大臣に任命される
1590年 小田原城の戦い、奥州を平定し、
天下統一を達成
1591年 秀長が病死、秀吉は太閤になる
1592年 第1回朝鮮出兵
1597年 第2回朝鮮出兵
1598年 伏見城(京都府)にて死去

【豊臣秀長】地道な作業を繰り返し、裏方として兄を支えた

研究家の間では“豊臣政権のナンバー2”として知られた存在だったが、兄・秀吉とは違い歴史に名を残した人物ではない。その人生には謎が多く、出生年にも諸説ある。秀吉とともに織田信長に仕えた史実はあるものの、具体的な西暦は定かでない。

「信長の命を受けて各地を飛び回る秀吉とは対照的に、秀長は当初、秀吉が城主となった長浜城の守備を担う役目を担っていました。といっても長浜城は秀吉の留守中に敵軍が攻めてくるわけではないので、本当に“留守を守っていた”だけでした」

しかし秀吉のめざましい活躍、出世とともに秀長も才覚を発揮していく。

竹田城の城跡
「天空の城」として知られる竹田城の城代(城主の留守に城を守る職)にも(写真/PIXTA)
写真28枚

「秀長は秀吉から竹田城の城代を任されました。そのときは長浜城の“留守番”とは違い、秀長自らも竹田城を拠点に、各地の戦に参戦していたはずです。秀長は決して大規模な合戦で大手柄をたてるわけではなく、いわば地道な作業を繰り返すような戦を重ねていました。しかし、そこでの長期的な包囲線や掃討戦の経験が秀吉の戦を支えたといえます。秀吉のような人を動かし軍を動かすタイプの戦い方には、それを裏方として支える実務能力が欠かせません。

史料としては残っていませんが、秀吉が兵を動かすために必要な食料や水、鉄砲といった武器をどう調達し、確保するかといった面は秀長なくしては成立し得なかったはず。これが“秀吉の右腕”といわれるゆえんなのでしょう」

秀吉が果たした天下統一の直後、秀長はこの世を去る。残された兄の朝鮮出兵、そして豊臣政権の弱体化に何を思っただろうか。

謎に包まれた人生「名補佐役」で生涯を全う

1540年 尾張国中村で誕生
時期不明 秀吉とともに織田信長に仕え、木下小一郎長秀を名乗る
1560年 桶狭間の戦い
1573年 秀吉が長浜城(滋賀県)の城主となる
1575年 秀吉から「羽柴」の姓を受ける
1577年 秀吉が竹田城(兵庫県)攻めを行う
秀長が竹田城代に
1582年 秀吉とともに備中高松城(岡山県)の水攻めに参戦
1584年 羽柴秀長に改名
1585年 豊臣姓を名乗る
1587年 大和国(奈良県)を中心とした領地を得て、従二位権大納言に昇進する
1590年 病床につき、秀吉の小田原攻めに参戦せず
1591年 大和郡山城で死去

ドラマが20倍楽しくなる!「豊臣兄弟」のすごい素顔

「もし秀長が長生きだったら、豊臣政権も安定したのでは」――そんな“たられば”を本郷さんは「その想定は危ない」と一刀両断!兄弟の意外な素顔を解き明かすことでその理由が明らかに。

関連キーワード