「2人は異父兄弟」は間違い!?
これまで「秀吉の誕生後、父・木下弥右衛門が亡くなり、秀長は母・仲の再婚相手である竹阿弥との子供」という説が唱えられ、秀吉と秀長は「異父兄弟」だとされていた。しかし近年では、別の説が出てきている。

「2人には日秀という姉、そして朝日という妹がいます。日秀が残したとされる『瑞龍寺差出』という文書には4人きょうだいの末っ子である朝日の父親も秀吉と同じだと記されている。木下弥右衛門と竹阿弥は同一人物で、秀吉と秀長は同じ両親から生まれた兄弟だという見方があるのです」(本郷さん・以下同)
ただし、これもまた確かな説ではない。
「そもそも、秀吉の出自は農民や足軽などといわれていますが、武士だという説もある。いまのところ“よくわからない”というのが結論です」
秀吉と秀長は「違った」からこそいい関係が築けた
「秀長はたしかに優秀だったのでしょうが、あくまで補佐役であり秀吉とは違う」と本郷さんは言う。
「秀吉は専制君主です。だからもし“秀長が秀吉と同じ”ということになると、専制君主が2人になってしまう。専制君主は自分と同じような存在を排除します。それは弟といえどもです。ですから、秀長は優秀ではあったけれども秀吉と同じくらい能力があったというのは間違いです」
秀長は「兄弟だから」重用されたのでなく努力や能力があったから
秀長の存在が知られると、秀吉がいかに弟を信頼していたかがクローズアップされるが、必ずしも血縁によるものではなさそうだ。
「秀吉が側近や部下を評価する基準が能力であり、特に内政手腕やデスクワーク的な実務であることは前述の通りです。その意味で、秀長は非常にそうした能力が高かったのだと思います。それを明らかにする史料はありませんが、秀吉が軍隊を動かす際に秀長の知見は大きな功績だったのでしょう。秀長は秀吉の留守を任されることも多かったことが史料からわかっていますが、留守を預けられるのは信頼の証。一方で、秀長には目立った武勇伝はありません」

秀吉に「もの申す」ことができ、“秘書”としても有能な役割を果たした
天下統一を支えた秀長は決して「イエスマン」だったわけではない。
「秀吉は後方支援部隊として秀長を高く評価していました。それは秀吉の言うことをなんでも聞くからではない。むしろ秀長は唯一、秀吉に『間違っています』と忌憚なき意見が言える人だった。そういう存在がなければ君主は失敗します。また、秀長は秀吉のオフィシャルな窓口としての役割も果たしていた。外交を中心に、秀長が案件を整えていたのでしょう」

秀吉は「武士社会の原理」に反していた
本郷さんは秀吉を「能力によって報酬(領地)を与える実力主義者」だとみる。
「現代では当たり前のことですが、武士社会でもっとも重要視されるのは家であり、世襲です。自分の家を引き継いで何代にわたって領地を守っていくというのがスタンダード。その世の中で、秀吉のような『能力主義者』は異質だったといえます。しかも、敵の首をとるなど合戦で功績をあげた武士を評価するのではなく、知的で内政手腕を持った武士の能力をかっていたようです。朝鮮出兵で活躍した加藤清正や福島正則がその例です」
信長にかわいがられ、愛された秀吉の「意外な狂気」
短気で冷酷な織田信長、計算高くずる賢い徳川家康に比べ、秀吉の人柄は陽気な人たらしとプラス評価されることが多い。だが「秀吉にも、信長や家康のような気性がある」と本郷さんは言う。

「秀吉は上昇志向が強く、天下取りに気概を持っていました。天下統一後に行った太閤検地では逆らった者を“皆殺しにしろ”と命じるなど、冷酷な一面もあった。そもそも水攻めや干殺し(兵糧攻め)といった残虐な作戦を次々実行している狂気性も見てとれます」