大谷直々の提案で売上を寄付
学生時代にソフトボールに親しまれた雅子さまは、WBCの緊迫した試合展開を手に汗握りながら楽しまれただろう。純粋なスポーツの醍醐味を味わうと同時に、被災地出身の選手が日本代表として活躍することで、ふるさとを勇気づけていることを実感する時間でもあったはずだ。だが、当の大谷はかつて、震災について多くを語ってこなかった。
「“野球と震災をこじつけてほしくない”という思いがあったようです。野球どころではないほどチームメートが苦しんでいる姿を実際に目にしたからこそ、トップレベルの選手になってからも、“プレーで被災者を勇気づけたい”といった言葉を軽々しく口にできないと思っていたのではないでしょうか」(スポーツ紙記者)
大きく変わったのは、震災から10年目の2021年。日本を離れて3年が過ぎた頃だった。
《月日とともに薄れていくことも多い中で『忘れてはいけない事』『忘れられない事』も多いかと思います。自分自身できることは微力ではあると思いますが、少しでも被災地の力になれるように、まだまだ頑張っていきたいと思っています》

当時所属していたロサンゼルス・エンゼルスを通して、大谷はそうコメントを発表した。その言葉は、雅子さまが体現されてきた被災地への気持ちと重なるものだった。
「日本で生活していれば、報道などを通して震災について目にする機会が日常的にあるでしょう。しかし、アメリカでは東日本大震災は“よその国でのこと”。そういった環境に置かれたことで、“忘れてはいけない”という思いが強くなったのかもしれません。困っている人のために、自分にできることは何かと考え抜いた結果が、行動することでした」(スポーツライター)
2024年元日には、石川県の能登半島を震度7の地震が襲い、災害関連死を含め700人以上の犠牲者が出た。それからわずか3日後には、大谷は所属するロサンゼルス・ドジャースなどと共同で100万ドル(当時のレートで約1億4500万円)の寄付を表明した。
「昨年3月に発売された大谷選手を題材にした絵本の売り上げの一部は、直前に発生した岩手県大船渡市の山林火災の災害支援のために寄付されました。大谷選手から直々に提案があり、寄付が決まったといいます」(前出・スポーツライター)
貴賓席に大谷が向けた眼差しには、いまなお被災地への思いの火を絶やさない雅子さまへの、畏敬の念が込められていた。
※女性セブン2026年3月26日・4月2日号