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鶴田浩二さん、三女が告白するその素顔「岸恵子さんと佐久間良子さん、そして世間に知られていない大女優との関係…わが家では“三大修羅”と呼ばれています」 

三女が告白する、鶴田浩二さんの素顔とは(時事通信フォト)
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 甘いマスクに渋い歌声で昭和の映画界に君臨したトップスター・鶴田浩二さん(享年62)。自殺未遂騒動にまで発展した大女優との悲恋はあまりに有名だが、そんな孤高の俳優を家族として見つめ続けた三女が語る素顔とは──。【全3回の第1回】 

岸さんは特別な存在だった 

「目玉と歯がブルーだったよ」 

 生前、実の娘から岸惠子(93才)の印象を尋ねられた鶴田浩二さんは、言葉少なにかつての恋人をそう表現したという。 

 昭和の映画黄金期を代表するトップスターと主演映画『君の名は』で一世を風靡した国民的女優。ふたりが辿った悲劇的な愛の結末は“戦後最大のロマンス”として芸能史に刻まれている。 

 鶴田さんの三女で、幼い頃から父を「鶴田さん」と呼ぶ女優兼歌手の鶴田さやか(65才)が振り返る。 

「私は岸さんにお会いしたことはありませんが、気品があって聡明で、鶴田さんが言っていたように透き通るように美しいかただったのでしょうね。若い頃は母以外の女性との話を聞くのは嫌だったけど、鶴田さんにとって岸さんは男女の関係を超えた特別な存在だったと思うんです。岸さんが鶴田さんとのことを書いたエッセイを読んだときは、感極まって2日間泣き通しでした」(さやか・以下同) 

 2024年春に岸が《ラストメッセージ》と称して上梓したエッセイ集『91歳5か月 いま想うあの人 あのこと』(幻冬舎)では、まる一章を割いて鶴田さんとのなれ初めや別れに至るまでの経緯が書かれている。 

 岸は1951年に公開された映画『獣の宿』で初めて共演した鶴田さんの印象を前述のエッセイにこう記した。  

《触れると血の滲みそうな悪の華が咲いていた。それは青くさいブン学少女であった私のイマジネーションの中に、突如として咲いた悪の華なのだった。私は嫌悪感と同時に、魅了もされた》 

女優・歌手として活躍する、さやかと愛犬のテディくん
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 当時は、スター同士の恋愛がいま以上にタブー視された時代。表立って交際することは世間や映画会社が許さなかったが、惹かれ合うふたりが人目を忍んで逢瀬を重ねるまでに時間はかからなかった。 

 エッセイを読んださやかが特に心を動かされたのは、箱根の夜道で空を見上げながらふたりが抱き合う映画のワンシーンのような岸の回想だという。 

「《鶴田さんと賑やかな銀座のド真ん中を歩いてみたい》とねだる岸さんに、鶴田さんが《ネオンなんかよりきれいな星がキラキラしている》と言って、満天の星空を見せるんです。岸さんを抱き上げて《両手をうんと高く掲げて星を獲れ。いっぱい獲ってきれいな花嫁衣装を作れ!》と言った彼の言葉が、どこまで本気だったのかはわかりません。どんなに相手を思っても一緒になることが叶わないことは、ふたりともわかっていたと思います」 

母への愛も本物だった 

 当時、鶴田さんには岸とは別に将来を約束した女性がいた。その相手こそが、後に結婚する生涯の伴侶であり、さやかの母、照子夫人である。 

「もし鶴田さんと岸さんが結ばれていたら、私や姉(次女)の息子である尾上右近(33才)も生まれてないわけで、複雑な思いもあります。でも、互いにあれほど好きになった相手はいなかっただろうとも思うし、岸さんのエッセイを読んで、確信に変わりました。鶴田さんは結婚してからも、ずっと岸さんを思い続けていたし、彼と別れた後の岸さんも本当の意味での恋愛をしていなかったんじゃないかな。その分、母は大変な思いをさせられたけど、鶴田さんの母への愛も本物だったと思っています」 

 結婚後、鶴田さんは3人の娘をもうけたが、家の外では数多の女性と浮き名を流した。2012年には女優の佐久間良子(87才)が、日経新聞のコラムで「『灼熱の恋』に駆り立てられていた」と鶴田さんと不倫関係にあったことを告白している。 

「岸さんと佐久間さん、そして世間には知られていない大女優Aさんとの関係……。わが家では“三大修羅”と呼ばれています(笑い)。鶴田さんが母に送った手紙に堂々と《今日は帰らない、許せ(中略)はっきり浮気である》と書いてあって、目を疑ったこともありました。 

 お嬢さま育ちで、おっとりした性格だった母は苦労続きでしたが、私には鶴田さんは『誠実な人』だと言っていたし、『あの人のために生きた人生だった』と話していました」 

(第2回に続く) 

※女性セブン2026年4月9日号 

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