
古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってもなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い憎しみが、一線を越えてしまう悲劇が明らかに──。
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1990年10月12日の昼すぎ、神奈川県川崎市の閑静な住宅街に怒号と悲鳴が飛び交った。
騒ぎを聞きつけた近隣住民が駆けつけると、首から血を流し、青ざめた表情の吉岡広さん(仮名・67才)が自宅前の道路に座り込んでいた。そこから少し離れたところでは、首から大量の血を流した状態で倒れている広さんの妻・道子さん(仮名・71才)の姿が―
「嫁にやられた…救急車を呼んでくれ!」
広さんの必死のSOSに住民は警察と消防に通報。駆けつけた警察官は、広さんから嫁の早百合(仮名・26才)が犯人だと聞き、自宅内を捜索。すぐに台所で左手首から血を流し、放心状態の早百合を発見した。そばにはわずか1才2か月の長男がいた。
「普段から義母にいじめられていました。今回も説教されるうちにカッとなって、台所にある包丁で刺しました」
取り調べで早百合は義母の道子さんからの執拗ないじめに悩まされ、凶行に及んだと供述した。
「吉岡家はいくつもの土地を所有する資産家として地元では有名でした。道子さんは広さんの前妻が亡くなった後、後妻に入ったそうです。早百合が嫁に来たときは、“いい人が嫁いでくれた”と喜んでいたのですが…」(当時を知る地元関係者・以下同)
1988年5月、早百合は道子さんに気に入られ、吉岡家の長男・一太さん(仮名・30才)とお見合い結婚。広さん夫妻は200坪ある自宅の敷地内に新婚夫婦のために離れを増築し、敷地内同居をスタートさせた。同時に、道子さんによる嫁いびりが始まった。
早百合が夫のワイシャツをクリーニングに出そうとすると、道子さんは「お金がもったいないでしょ、自分で洗いなさい!」と叱責。さらに、早百合が食事を用意すれば「味が薄くて食べられない!」と事あるごとに嫁に文句を言うようになっていったという。
道子さんの数々の言動に精神的に追い詰められた早百合は、10か月ほどで同居を解消。義実家から500mほど離れた広さん所有のアパートで生活をするようになったが、“監視”は終わらなかった。
「当時、小さい子供を抱きながら、義実家に呼びつけられる早百合を見かけたという近隣住民が何人もいました。子供が生まれてからは、道子さんは家事だけではなく育児にまで口を挟み、文句を言うようになったそうです」
事件当日も義実家に呼ばれたところで、子供が泣き出した。すると道子さんは早百合にこう言い放ったという。
「こんなに泣くのは、あなたがわがままに育てているからでしょ!」
この言葉をきっかけに早百合の中で鬱積していた怒りが爆発。道子さんの首に何度も包丁を突き刺した。そこに帰宅した広さんも凶刃の標的となったのだ。
幸いにも義両親は一命をとりとめた。殺人未遂で起訴された早百合には執行猶予がついた。仲睦まじかった嫁姑関係は同居前のほんのひとときだけだった。
※年齢は事件当時。
※女性セブン2026年4月16・23日号