
初めて和歌の指導を受けられてから約30年。皇族方のたしなみを懸命に学ばれる雅子さまを見守ってきた恩師が、この春、世を去った。そんな恩師の愛弟子が、鎌倉時代から続く宮中行事の要職を務めることに。師を同じくする女性歌人と雅子さまには共通点があって──。
周囲を感嘆させた歌会始での“サプライズ”
「古歌の『おし照る』というような言葉を、いまの和歌に使ってもよろしいのでしょうか」
いまから33年前、初めて本格的に和歌の指導を受けられた雅子さまは、こんな質問を投げかけられた。このとき、ためらいがちに尋ねたプリンセスの質問に、指導役の巨匠はきらめく才能を感じたという──。
宮内庁は7月1日、来年の歌会始の選者5人を発表。今回から選者に加わったのが、短歌結社「玉ゆら」を主宰する秋山佐和子さんだ。
鎌倉時代中期にルーツを持つ歌会始は、新年の初めに、前の年を神に感謝し、新しい年への願いを歌に託したのがはじまりとされる。明治期に入ると国民の参加が認められるようになり、戦後になるとテレビ中継が導入された。雅子さまはご成婚から半年が経った1994年1月に初めて歌会始に参加され、こんな歌を詠まれている。
《君と見る波しづかなる琵琶の湖さやけき月は水面おし照る》
ご成婚から2か月後に滋賀県を訪問された際、宿泊したホテルの部屋から陛下とおふたりでご覧になった琵琶湖の情景を想起する歌だったが、この年の歌会始では周囲を感嘆させる“サプライズ”が起きた。
「当時皇太子だった陛下も雅子さまと同じく、伴侶とともに琵琶湖を眺める喜びを表す歌を詠まれたのです。おふたりの歌は、恋人同士が和歌で互いの思いをやり取りする『相聞歌』の形式になっていて、参加した人々を驚かせました。
新婚当初、雅子さまのお妃教育のご進講に陛下が一緒においでになる場面もあり、関係者の中には、東宮御所の階段で手を取り合って歩くおふたりの姿をいまも鮮明に記憶に留めている人もいます。和歌は古くから続く皇室の伝統で、なかなか発信できない心情を歌に込めて詠むものだけに、新婚の心境を表現した初々しい“ラブレター”ではないかと話題になりました」(皇室ジャーナリスト)

伝統行事の新たな選者となる歌人の秋山さんは女性歌人研究の第一人者でもあり、対象の足跡を粘り強く掘り起こす取材で多数の著書がある。女性歌人の生き様を通して、女性の社会進出やジェンダー平等にも研究の領域を広げてきた。
「エリート外交官から皇室の一員になられた雅子さまは、結婚後も国際親善の舞台で活躍することを望まれてきました。女性が女性として生きていくことの困難や悲しみ、そして喜びを追い求める秋山さんの姿勢に、雅子さまも共鳴する部分があるのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
山梨県出身の秋山さんは國學院大學時代に和歌の研究の道に踏み出し、結婚後はアメリカやカナダで生活しながら歌を詠み、帰国後は歌会を主催しながら執筆を続けた。私生活では長年連れ添った夫と次男をがんで亡くしていて、最愛の家族との別れも歌にしている。
「歌会始の選者は、ほかの選者からの推薦で選ばれます。秋山さんは巡り合わせの関係で79才にして初めて歌会始の選者となりましたが、むしろ選ばれるのが遅かったという印象です」(歌壇関係者)
そんな秋山さんと雅子さまをつなぐのが、戦後の歌壇を牽引し、雅子さまの和歌の師を務めた歌人の岡野弘彦さんだ。伊勢の地で代々続く神主の家に生まれた岡野さんは、歌人で民俗学者でもあった折口信夫の最後の内弟子として知られる。昭和天皇の時代から皇族方の和歌の指南役として活動し、宮内庁お抱えの相談役(御用掛)も長く務めた。
「岡野さんは今年4月に101才で亡くなりましたが、晩年も創作への意欲を失わず、歌が浮かんだらノートやナプキンに走り書きをしていました。岡野さんのジャケットはどれも、忍ばせたペンのインクがポケットに染み込んでいたといいます」(前出・歌壇関係者)