
古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってもなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い憎しみが、一線を越えてしまう悲劇が明らかに──。
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2007年11月7日、長野県南部ののどかな町で119番通報が入った。駆けつけた救急隊員が見たのは、自宅で倒れていた加藤理恵さん(仮名・24才)の無残な姿だった。
「事件の2日後に理恵さんの兄嫁である、加藤華子(仮名・24才)が逮捕されました。金づちで理恵さんの頭を何度も殴り、倒れたところをヒモで首を絞めたが殺しきれず、台所にあった包丁で首をめった刺しにしていました」(地元紙関係者・以下同)
理恵さんと華子は4か月前まで、事件が起きた理恵さんの母親の家で同居していた。
「2人の間にはトラブルが絶えなかったそうです。同居期間中に同じ福祉事務所で2人が働いていたことがありましたが、理恵さんの母親が“職場を離してほしい”と会社に嘆願するほど。福祉事務所の関係者は、華子に別居をすすめていました」
華子一家は町内のアパートへ引っ越すも、事件は起きた──。
死んでいなくなるか離婚していなくなるか、どっちか選べ
2004年に結婚した華子は、直後に義母宅で同居生活を開始。間もなく娘も生まれ、幸せな日々を送る。
「しかし、理恵さんが彼氏と別れ、実家に戻ってきたのをきっかけに生活は一変。理恵さんと華子は性格の違いからか同居前から仲がよくなかったそうで、同居後は華子の娘の夜泣きを巡って理恵さんが文句を言い、より関係が悪化していったそうです」
周囲からは「怒ったところを見たことがない」と評される華子。だが、華子の作ったひじき料理を理恵さんが「ババくさい」とばかにすると、台所を預かる華子は3日連続でひじき料理を出すなど負けん気を見せていたという。
「理恵さんの服や財布がなくなったとき、理恵さんは華子に疑いの目を向けました。華子も娘のお腹が赤くなって泣いていたのを理恵さんが折檻したからだと思い、いらだちを募らせていきました」
事件が起きる4か月前の7月に、両者の話し合いが持たれたが、抜き差しならない状態に陥る。
「理恵さんが華子に対して“楽しそうにしているのが許せない。お前のいちばん大切なものを奪ってやる”“死んでいなくなるか離婚していなくなるか、どっちか選べ”と言い放ったそうです。華子は激高して理恵さんの顔を殴りました」
これを機に同居を解消した華子。新生活を送っていた10月上旬、華子は同居していた家で見たくない光景を見てしまう。かつて幸せな生活を送っていた家の表札には夫と娘の名前がまだあるのに、自分の名前だけが外されていたのだ。
「“自分を家族から排除した”と感じた華子は、理恵さんに殺意を募らせます。そして事件当日、財布の盗難は理恵さんの自作自演だと思い、それを暴くために合鍵で家に入ると、理恵さんのたんすから自分の名前の表札を見つけたそうです。これが引き金となり、憎しみが爆発。車内に用意していた凶器を手に理恵さんの帰宅を待ち、犯行に及びました」
翌年、華子には懲役10年が言い渡された。
※年齢は事件当時。
※女性セブン2026年9月3日号