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【追悼】岸恵子さん(享年93)、安らかな旅立ち 親友・草笛光子が振り返る不思議な関係「女優として、後輩として、友として誇りに思います」

8月7日に老衰で亡くなった岸恵子さん
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 可憐な美貌と持ち前の行動力、尽きぬ好奇心で、女優・ジャーナリスト・文筆家と3つの顔を持った岸惠子さんが亡くなった。その93年の生涯を振り返る。【前後編の前編】

凜としてきれいな姿での旅立ち

「本当にショックです。ここ最近は頻繁には連絡を取っていなかったので、ひと目でも会って別れの挨拶をしたかった。叶うなら、もう一度おしゃべりがしたかった。本当に寂しいです」

 本誌・女性セブンに率直な心境を明かすのは、女優の草笛光子(92才)。8月7日に老衰で亡くなった女優で文筆家、ジャーナリストとしても活躍した岸惠子さん(享年93)と草笛は学生時代からの親友同士だった。

「同じ横浜生まれで、1つ違い。お互い戦争を経験して、横浜第一高等女学校で出会い、同じ時期に芸能界に進んだことでとても近い存在になりました。舞踊クラブの先輩後輩でしたから、芸能界で唯一のお友達とは言いつつ、お会いすると私はどこかピリッとしましたね。岸さんは『1つしか変わらないじゃない』といつもおっしゃっていましたが、1つでも先輩ですから。

 いま思えば、常にベタベタするわけでもなく、なんだか不思議な関係で、いてくれると安心する存在でした。幼少期の戦争体験がそれぞれの人生に影響していたのでしょうか。お互いそんな話はしたことはないけれど、岸さんは自分のことは自分で決めて生きようと思ったのかもしれません。それを貫いた人生を送られて立派だったと思います。女優として、後輩として、友として誇りに思います」(草笛)

パリに移住してからは、ジャーナリストとしても活動
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 神奈川県横浜市の高台にたたずむ白い石塀と深い緑に囲まれた日本家屋。約800平方メートルの敷地に建つ歴史と格調のある邸宅で岸さんは晩年を過ごした。近隣住民が語る。

「ご両親は江戸時代から続く名家のご出身で、1999年にお母様がお亡くなりになった後はフランスから帰国した岸さんがひとりでお住まいになっていました。裏庭にあるミモザの木は、海外にいて看取れなかったお母様を供養するために岸さんが植えたそうです。黄色い華やかな花を咲かせる季節を心待ちにしていて、自宅を訪れるお客さんにうれしそうに見せていたこともあったそうです」

 別の住民が続ける。

「ご自宅では、ご両親の代からのお手伝いさんが出入りしているのをよく見かけました。岸さんもたまに近所の商店街で買い物をされていて、挨拶をするとニコッと笑ってくださってね。何年か前に紳士風の男性にエスコートされて楽しそうに歩いている姿をよくお見かけしましたが、いくつになっても恋をしていたからこそ、あんなにも若々しくいられたんじゃないでしょうか」

 岸さんは2019年に冠動脈狭窄症で血管の半分が狭まっていることを明かしていたが、ほかに大きな持病などはなく、医師からは「100才まで生きる」と太鼓判を押されていた。亡くなるひと月前にも「マンゴーが食べたい」と話すなど食欲もあったという。

「生前、周囲に『95才までは行けそう』と話していましたが、94才を迎える誕生日の4日前に静かに息を引き取りました。葬儀にはフランスに住む長女の麻衣子さんやお孫さんたちも参列したそうです。凜としてきれいなお顔のまま、最期まで大女優として安らかに旅立たれたと聞いています」(芸能関係者) 

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