
聴衆に語りかける杉良太郎は言葉を詰まらせ、大粒の涙を流した──。今年中に全国13か所にある国立ハンセン病療養所をすべて訪問すると宣言し、5月から活動を続ける杉。妻の伍代夏子、瀬川瑛子と共に、8月28日には宮城県の「東北新生園」、9月3日には群馬県の「栗生楽泉園」へ慰問に訪れた。
37年前にベトナムでハンセン病患者を取り巻く差別と偏見を目にして愕然とし、憤り、無力さにさいなまれたと杉は語る。帰国すると、いてもたってもいられずに熊本県の菊池恵楓園へ赴いた。入所者に再訪を約束して、再び訪れたのは1996年。ハンセン病患者への差別を助長する一端となった「らい予防法」が廃止された年だった。
「かつてはハンセン病を患うと強制的に隔離され、患者さんは人生の選択肢や尊厳を否応なく奪われた。家族とのあたたかな暮らしを失い、自由を失い、家族に迷惑をかけまいと本名や戸籍を捨てた人たちは死んでも故郷に帰れなかった。その無念さや心の傷は30年経とうが、癒えるはずなどありません」(以下、杉)
現在、政府が進める家族への補償金は、請求者が想定の4割弱に留まるという。杉は厚生労働省の特別健康対策監として、国への働きかけを使命と考えている。
「1日も早く決着させ『本当に申し訳なかった』というひとことが欲しい」
長い苦しみも、親族のつらさも分かち合い、共に闘う。「ほんのわずかでも、明日へのエネルギーをかきたてる力になれたら」と全施設への慰問に励む。だからこそ杉は、ステージに立つと「皆さんに会いに来るのが遅くなって、申し訳なかった」と詫びる。そして「皆さんと想いをひとつにして、ちょっとでも癒しになれるように一生懸命歌います。頑張ってまいります」と、頭を下げるのだ。
そして、こうも語る。
「私は15才のときに初めて刑務所を慰問し、法務省の特別矯正監として全国の刑務所や少年院を回ってきました。その活動は今年で68年目に入っています。刑期のある受刑者よりもひどい目に遭ったのは、皆さんです。ハンセン病という病気を患っただけで、人間を人間と思わないような仕打ちを受けてきました。許せない。この問題を決して風化させないよう、患者の皆さんが歩んだ歴史と真実を大声で伝えていかなくてはならないと、身を引き締めています」
杉が信念を語ると会場の空気が引き締まり、心からの言葉が大きな力を伴って、まっすぐ聴衆へ届いた。
記憶を絶やさず、偏見や差別のない社会を目指すことは療養所の願いにも通じる。「ハンセン病を患った人たちの声を知ってほしい。歩みを忘れないでほしい」──そんな願いから、園内で歴史資料を公開する施設もある。
宮城の「東北新生園」にあるのは「しんせい資料館」。もともとは、園で暮らした学齢期の子供たちが学んだ「葉の木澤分校」の校舎だ。
実は、1939年の開園から長く園内では義務教育を受けられず、自治会の覚悟と努力で51年、地元の小中学校の分校としてようやく開校にこぎつけた経緯がある。赴任してくれる教師が見つからないなど、実現までに様々な困難にも見舞われたという。
教室には当時の机と椅子も一部遺り、建物と共に“歴史の生き証人”として来館者に語りかける。生活用品など貴重な遺品のほか、「自分たちを受け入れてくれた地域に恩返しをしたい」と常々口にしていた自治会長の言葉なども紹介されている。
園内は散策ルートとしても開放。資料館や霊安堂など12か所を巡る3・5㎞のスタンプラリーも設けられ、散歩しながら歴史に触れることができる。杉たちが訪れたこの晩夏は、園内の池に蓮が桃色の大輪を咲かせていた。その光景は見事で、カメラが趣味の伍代がステージで感動を口にすると、入所者の表情にも笑顔の花が咲いた。