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《哀悼 倉本聰さん》北の国で過ごした最期の日々 指先に激痛が走り,自由が利かなくなっても「ぼくの手先には脳みそがある」と自分の手で原稿を書き続けた

『北の国から』をはじめ、数々の名作を世に送り出した脚本家・倉本聰さん(写真/共同通信社 )
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 雄大な自然が広がる北海道・富良野に移住しておよそ半世紀。大地に根差した生活を標榜しつつ、『北の国から』をはじめ数々の名作を世に送り出した脚本家・倉本聰さんがこの世を去った。晩年まで創作に意欲を燃やし、原稿用紙と向き合い続けたその生涯を振り返る。

酸素ボンベを付けながらも熱のこもった言葉

「最後にお会いしたのは亡くなる3日前。その頃はほとんど意識がなかったけど、2週間ほど前は、先生の自宅で食事をしながら普通に会話ができていたんです。先生は大好きだったはちみつをかけたピザを少しだけ召し上がって、お酒もちょっと口を付けたかな。ぼくらが会話に夢中になっていると『そこはこういうふうに作った方がいいんじゃないか?』と身を乗り出して参加し、熱く語るあまり咳き込むことも。最後までものを作ることへの意欲にあふれたかたでした」

 こう振り返るのは、倉本聰さん(享年91)が創設した「富良野塾」出身で、現在も役者・演出家として活動する久保隆徳さん(60才)だ。

 9月18日夕刻、国民的ドラマ『北の国から』シリーズ(フジテレビ系)をはじめ、数々の名作を世に送り出した脚本家の倉本さんが多臓器不全のため、北海道富良野市の自宅で亡くなった。

 1年ほど前から呼吸の苦しさを訴え、酸素ボンベを付けて療養生活を送っていたが、ここ2か月ほどで急速に体力が低下。自宅の書斎兼寝室で元女優の妻や娘夫婦に看取られ静かに旅立ったという。

 倉本さんが亡くなった翌日から富良野塾の跡地でワークショップを行った久保さんは、生前その計画を病床の倉本さんに伝えていた。昼は畑を耕し、夜は自分たちで食事を作り、生活を共にして心を磨く――この新たな試みを聞いた倉本さんは、久保さんに熱のこもった言葉をかけたという。

「先生は『どんどん大いにやれよ』と言ってくれました。大地に根差した泥臭い生活を通して、人間を育てるというのが富良野塾の原点。それに立ち返るワークショップを始める前日に息を引き取られたのも、先生らしいバトンタッチだった気がしてなりません」(久保さん)

 愛煙家だった倉本さんは晩年、肺気腫と肺がんを患っていた。体力の低下とともに、原稿を書き続けてきた指先に激痛が走り、自由が利かなくなっても、創作への執念が尽きることはなかった。

「先生は『ぼくの手先には脳みそがある』と言っていて、口述筆記ではなく自分の手で書くことにこだわっていました。だからこそ、自分の字が判読できなくなったときは本当に悔しそうにしてね。指さえ動けば、病気になったいまこそ書ける嘘のない人間の姿を、最期まで原稿用紙にぶつけたかったと思います」(久保さん)

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