
9月30日、天皇皇后両陛下が27年ぶりに熊本県を訪問された。度重なる災害の影響が色濃く残る地を強行日程で回られたが、被災地を思う姿は色々な場面で感じられ──。国民に寄り添うおふたりの姿に迫る。【前後編の前編】
くまモンのピンバッジを着けて住民たちと懇談
「くまモンさんのバッジですね」。雅子さまのその一言が、被災地・熊本での交流をより一層温かいものへと深められた──この日、1日で1900km近くを移動された天皇皇后両陛下。国民との交流に割ける時間はいつも以上に限られていたが、それでも立ち居振る舞いやお召し物には、おふたりらしさがにじんでいたという。
両陛下は9月30日、日帰りで熊本県をご訪問。7月に発生した「令和8年熊本地震」で特に大きな被害を受けた八代市、氷川町、宇城市の3市町を見舞われた。
「道路の復興状況や被災地の負担を鑑みて、熊本空港から八代市への移動には自衛隊のヘリコプターが使用されました。八代市内の臨時ヘリポートに到着されたおふたりは、3市町の方角に向けて深々と頭を下げられ、黙礼。お見舞いを終え、熊本空港に戻られる際も、同様に黙礼して帰路につかれました」(宮内庁関係者)
熊本空港に到着された両陛下は、木村敬熊本県知事らの出迎えを受け、被災や復旧の状況について説明を受けられた。話題は、同県を代表するゆるキャラ「くまモン」の活躍にも及んだ。すると、雅子さまは木村知事の胸元でキラリと輝くピンバッジへと視線を移し、冒頭のようにおっしゃったのだ。
「その言葉を受けた木村知事はすぐさま、両陛下に同じバッジを贈呈。うれしそうに受け取られた両陛下は、バッジを着けて被災者との懇談に臨まれたそうです。当初、両陛下を前に緊張の面持ちだった地元住民たちですが、おふたりの胸元で存在感を発揮する『くまモン』を見つけて?を緩ませる場面もありました。両陛下が被災者たちに寄り添われる気持ちが和やかな交流の糸口となったのです」(前出・宮内庁関係者)
「思わず涙がこぼれました」
お見舞いで一人ひとりと丁寧に言葉を交わされた両陛下。八代市と氷川町ではサプライズ交流も実現した。
「かねて予定していた住民との懇談を終えられた両陛下は、敷地内で待機していた人たちの方へ自然と歩み寄られ、そのままお声がけ。雅子さまが『そうだったんだ』と相づちを打たれるなど気さくに会話される場面もあり、飾らないお姿が被災者の心をとらえていました」(皇室ジャーナリスト)
その場に居合わせた、八代市で青果流通業に従事する福田善之さんが明かす。
「私は陛下に『大変でいらっしゃったでしょう』と声をかけていただきました。『家は少し壊れてしまいましたが、家族は元気にしています。ありがとうございます』と返事をすると陛下は『そうでしたか。お体に気をつけて』と。おふたりの温かいまなざしと真剣な表情から心からお見舞いしてくださっているというのがひしひしと伝わってきて、思わず涙がこぼれました」
言葉を交わした時間は数十秒ほど。それでも計り知れないパワーをもらったという。

「今後の人生において、仕事にも家庭にもしっかりと向き合っていこうという励みになりました。両陛下は被災者たちと10分以上もお話しされていたはずですが、その間ずっと中腰のままでした。1才ほどの子供の前ではぐっとかがんで触れ合われていた。私たち国民と同じ目線で言葉を交わしたいと思ってくださっているのがよくわかりました。
両陛下は雲の上の存在ですが、今回おふたりの温かさに触れたことで、国民にとって身近な存在でもあるのだと実感しました」(福田さん)
雅子さまは皇太子妃時代から時折、こうした当初の計画にはないお声がけをされてきた。
「多くの国民と直接言葉を交わしたいというお気持ちが人一倍お強いのです。ただ、スケジュールは分刻みで組まれており懇談の時間を捻出するのは簡単ではありません。特に御代がわり以降はそれまで以上に厳重な警備体制が敷かれるようになり、サプライズでの交流は減少傾向にあった。
今回は、地震に大雨にと短期間でたびたび災害に見舞われた被災者の心の傷を少しでも癒したいという思いが、雅子さまを突き動かしたのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
こうした被災地へのご訪問を皇室の重要な務めのひとつとして確立されたのは上皇ご夫妻。別の宮内庁関係者が語る。
「皇太子ご夫妻の頃から両陛下は、上皇ご夫妻のなさりようを継承されてきました。しかし御代がわりから約7年半が経ち、徐々にご自身たちの色を出されるようにもなっています。さらに今回、雅子さまの足元には“ある変化”がありました。それは美智子さまが大切にされてきた思いとの“決別”を意味しているのでは、と関係者の間で話題となっています」
(後編へ続く)
※女性セブン2026年10月22日号