
喜劇俳優として類いまれな才能を発揮する一方で、ひとたびカメラの前に立てばシリアスな芝居もお手の物。唯一無二のコメディアンである伊東四朗(89才)がこのたび、芸能界という名の舞台に幕を下ろすことを決意した。彼の胸中に迫る。
ここ数年は心身の衰えと闘っていた
「90才になったらやめようという気持ちは持っていた。そろそろ90才だなと。黙ってこのままやめちゃうのもひきょうだから発表しただけです」
芸能界引退を電撃発表した2日後、スーツ姿で報道陣の前に現れた伊東四朗。途中で補聴器の充電が片耳だけ切れるというプチアクシデントがありつつも、約30分にわたり、自らの言葉で引退の理由を語った──。
伊東は10月1日に公式サイトを更新し、来年6月15日に迎える90才の誕生日をもって芸能界を引退すると発表。《いい爺ィになりました》《「眼、耳、脳、腰、膝‥」すべてが急速に退化》と伊東らしいユーモアを交えて現状を明かし、《皆さん ありがとーッ!》と直筆で別れの言葉をつづった。
「現在もレギュラー出演しているのは毎週土曜の冠ラジオ『伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛』(文化放送)のみ。同番組も来年6月で最終回となるようです。80才のときに受けたインタビューでは『仕事の依頼をいただける間は頑張ろうと思います』と生涯現役を誓っていた伊東さんですが、公式サイトで明かした通り、ここ数年は心身の衰えと闘っていた。引退の決断に迷いはなかったようです」(芸能関係者)
高校卒業後、大学生協で働いていた伊東が劇団「笑う仲間(のちの『石井均一座』)」の一員として役者デビューしたのは21才の頃。だが当時、芸能界入りを強く望んでいたわけではなかった。
「昭和12年、戦争の足音が迫るなか生まれた伊東さんは、その混乱期を見てきたからでしょうか、親孝行のためサラリーマンになりたかったそうです。しかし、“人相が悪い”と言われ就職試験はことごとく失敗。アルバイト生活をしながら、娯楽として劇場に通ううちに顔を覚えられ、新たに旗揚げする劇団に誘われた。舞台に立てば勤め人並みのお金がもらえるとわかり、座員になったそうです」(前出・芸能関係者)

その後26才で結成したお笑いグループ「てんぷくトリオ」で大ブレークし、ベンジャミン伊東として「電線音頭」でお茶の間の笑いをかっさらった。さらに1983年放送のNHK連続テレビ小説『おしん』ではヒロインの厳格な父親役を好演し役柄の幅を広げていった。私生活では29才のときに結婚。
「9才年下の落語関係者だった女性に一目惚れし、猛アタックの末に結婚して3人の息子をもうけました。伊東さんは子煩悩で、当時では珍しい“イクメン”。息子たちの授業参観を心待ちにし、運動会や家族の誕生日会などの行事には必ず参加していました」(前出・芸能関係者)
息子たちが独立すると心身の健康を維持するため運動やトレーニングに励んだ。
「妻にすすめられたことを契機に55才でテニスを始め、円周率を1000桁覚える脳トレにも取り組んだそうです。79才で運転免許を返納して以降は、夫婦揃っての散歩が日課になったとか」(前出・芸能関係者)
伊東は近所でもおしどり夫婦として知られているという。近隣住民が語る。
「伊東さんは一度できた縁は大切にするかたです。かねてつきあいがあった地元の畳店の主人が数年前に亡くなった際、伊東さんは夫婦で焼香をあげるために葬儀に参列していたんです。忙しいのに義理堅い夫婦だなと感心しました」