菅田将暉(28才)が主演を務める現在公開中の映画『キャラクター』。SEKAI NO OWARIのボーカル・Fukase(35才)が俳優デビューを飾ったことでも話題になっている本作は、封切りから1か月以上経った今も興行ランキング上位を維持しています。
注目を集める本作の見どころについて、映画や演劇に詳しいライターの折田侑駿さんが解説します。
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演技初挑戦とは思えないFukaseの“怪演”が観客を恐怖に陥れる
売れない漫画家と猟奇殺人犯の2人が出会うことで巻き起こる、奇想天外な物語を描いた『キャラクター』。本作は、大ヒット漫画『20世紀少年』や『MASTERキートン』をはじめ、ストーリー共同制作者として浦沢直樹作品を数多く手がけ、映画『20世紀少年』シリーズの脚本も担当してきた長崎尚志(65才)が原案・脚本を手掛け実写映画化したもの。
映画『帝一の國』や『恋は雨上がりのように』などの永井聡監督(50才)がメガホンを取り、漫画家と殺人鬼を菅田とFukaseがそれぞれ演じています。
殺人犯の顔を見てしまったら?
物語のあらすじはこうです。漫画家として売れることを夢見る主人公・山城圭吾(菅田将暉)。彼は高い画力を持つものの、自分の目指すサスペンス作品を描けずにいます。お人好しすぎる性格ゆえに、リアリティのある悪役キャラクターを描くことができないのです。
そのため、万年アシスタント生活。そんなある日、師匠の依頼で、“誰が見ても幸せそうな家”のスケッチに出かけることに。山城は住宅街の中に不思議な魅力を放つ一軒家を見つけ、ふとしたことから中に足を踏み入れてしまいます。そこで彼が目にしたのは、見るも無残な姿になり果てた、4人家族。そして、彼らの側に佇む一人の男の姿だったのです。
本作の肝となるのは、「もし売れない漫画家が殺人犯の顔を見てしまったら?」、「犯人の顔を“キャラクター化”した漫画が売れてしまったら?」という奇想天外なアイデア。この“出会ってはいけない2人”が出会ってしまうことによって、見るもおぞましい凶悪事件がさらなる事件を呼んでしまいます。
Fukaseのカリスマ性が役に反映
主人公・山城だけでなく、犯人を追う刑事コンビ・真壁孝太(中村獅童)&清田俊介(小栗旬)や、山城を支える恋人・川瀬夏美(高畑充希)も事件に巻き込まれ展開していく“ダーク・エンターテインメント”となっている本作。この作品の大きな見どころの一つが、俳優デビューを飾ったFukaseです。
山城を魅了し同時に翻弄する猟奇殺人犯・両角役として、演技初挑戦とは思えぬ怪演の数々を披露しています。主役の菅田をはじめとする先輩俳優陣の“受けの演技”があってこそのものではありますが、それでもFukaseの発する怪しげな光は観客を恐怖のどん底に落とし入れ、同時に惹きつけて止まないものがあります。
Fukase本人の持つカリスマ性が役に反映され、山城が恐怖しながらも惹かれてしまうのも納得なものとなっているのです。
周到に施された演出が作り出す想像を超えるおぞましさ
本作は長崎尚志によるオリジナル作品のため、前情報を得る手段は限られています。実際に見てみないことには物語の詳細が分からず、それだけに観客の期待値も高くなることが予想されます。しかし本作は、事実筆者がそうだったように、おそらく多くの人が想像する以上に恐ろしい、期待を裏切ることのない作品となっています。
ポスタービジュアルは比較的ポップですが、両角の犯す殺人は非常に生々しく残酷で、時に鳥肌を立てながら、また時には目を伏せたい気持ちを堪えながら、それでも目を離せない描写となっていました。
これはやはり、製作サイドの徹底された演出の賜物だと思います。映画の謳い文句に対して“〇〇っぽい”作品に仕上げるのではなく、それ以上のものを観客に提供しようとする姿勢が存分に感じられます。好みは分かれるかと思いますが、この手の作品が好きな人には間違いなくハマることでしょう。
恐怖へ導く監督の手腕が光る
ここまで残酷な描写に気合いの入った作品は、日本のメジャー作品で久しぶりに出会った気がします。定評がある韓国のスリラー映画などで目が肥えている人が本作をどれくらい評価するのか、とても気になるところです。
そして、その演出を中心で率いているのが永井監督です。永井監督といえば、映画『ジャッジ!!』や『世界から猫が消えたなら』などを世に送り出した監督ですが、映画作品以上に、おそらく誰もが一度は目にしたことのある数々の名CMを手がけている存在でもあります。そんな監督の作品とあって、観客を恐怖へ導く手腕はピカイチ。
どの角度から撮り、どうカメラを動かすのか、細部にまでこだわった周到な演出を施し、観る者に恐怖を植えつけます。例えば物語の冒頭、菅田演じる山城がとある家をスケッチしているシーンがあります。物語はまだ何も動き出していませんが、これから確実にとんでもないことが起こるのではないか、そう確信せずにはいられない予感がスクリーンにみなぎり、得体の知れない気味の悪さを感じてしまうのです。
俳優陣の演技と掛け算された恐怖演出。それらが織りなす本作は、これまでの日本のこの手の映画とは一線を画すものに仕上がっています。恐怖を与える物語の設定だけでなく、上質な演技と演出とによって、非常に見応えのある作品となっているのです。
恐怖の裏に描かれる人間の「欲」
菅田演じる冴えない主人公が怪事件に遭遇してしまったり、Fukaseが凶悪犯を怪演したり、的確な恐怖演出がなされていたりと見どころ盛りだくさんの本作ですが、厳しい見方をすれば、それだけでは良くできた“怖がらせ映画”とも言えます。面白さを決定付ける本作の“ミソ”は、物語のテーマにあると筆者は思います。
悪とはほど遠い人間が蛮行を描くことに
山城は画力がありながらも、自身の才能の限界に悩みを抱えている。それは彼が、あまりにもお人好しだからこそ。そんな山城に図らずも救いの手を差し伸べることになるのが、凶悪犯・両角です。山城はサスペンス作品を描きたいと思っていながらも、彼には“悪を描く性質”が欠けている。
つまりは彼自身、極めて清い人間であり、悪とはほど遠い人間なのです。だからこそ彼は、自分に足りないものを外界から補完するように、目にした両角の蛮行をそのまま作品に落とし込みます。画力は褒められる人間なのだから、悪の要素さえイメージできれば自己実現に向かうことができるのです。
筆者は、この作品で描かれている主のテーマは「人間の欲」だと感じました。自分に無いものを他者の存在によって補完する。この行為自体は問題ありませんが、それが倫理に反していた場合はどうするか。これが本作の伝えたいことだと思います。
山城の中に両角を取り込むことは、才能の限界を感じた末、悪魔に魂を売る行為とも言えます。そんな事をしたら人間はどうなってしまうのか……その結末をぜひ劇場で確かめて欲しいところです。自己の誤りや行き過ぎた“ないものねだり”が招く人間の欲や傲慢さが描かれている本作。鑑賞すれば、単なるスリラー映画で終わらない作品の面白さを実感できると思います。
文筆家・折田侑駿さん
1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。折田さんTwitter