前作の役柄から大きな変身を遂げた松坂桃李
本作に凄まじさをもたらすのは、鈴木だけではありません。村上虹郎の健闘ぶりにも大いに心を揺さぶられます。彼が演じる“チンタ”は、主人公の日岡(松坂)を兄のように慕う人物。彼はヤクザでも警察でもありません。一筋の希望を胸に、いまを懸命に生きる一人の若者です。
そんな彼は、日岡の指示で“とある報酬”と引き換えに、危険な連中が集まる上林組にスパイとして潜り込みます。前述の通り、“悪魔”が率いる上林組。その中で危険を冒しながら悪戦苦闘するさまは、応援せずにはいられません。善悪や自身のアイデンティティに葛藤する若者像を、村上は鬼気迫る演技で立ち向かっています。
広島弁は前作よりも重い響き
そして、主演の松坂桃李の演技からも目が離せません。大物俳優、役所広司からバトンを受けての主演ということで、相応のプレッシャーがあったと想像できます。それも、過去に類を見ないほどのバイオレンスな作品なのだから尚のこと。
しかし本編を観れば、そんな心配は彼の登場シーンで吹き飛ばされます。見た目を威圧的な風貌にしていることや、登場シーンだからこそのクールでスタイリッシュな演出が施されていることも大きいでしょう。しかしそれ以上に、彼の口にする広島弁は前作のものと比べ明らかに重い響きを持っていますし、一つひとつの所作にも威厳がみなぎっています。
前作での青臭い新米刑事・日岡からは想像できないほど別人に変身を遂げており、登場シーンの瞬間に本作が前作を上回るものになっていると確信したのは筆者だけではないでしょう。
それぞれの“正義”のぶつかり合い
さて、ここまでいろいろと書いてきましたが、やはり観る人を選ぶ作品なのは事実です。流血や暴力シーンが苦手な人は注意が必要です(得意な人なんて、そういないとは思いますが…)。正直なところ筆者も、ちょっとだけ目を閉じたり、太ももをつねったりしながら鑑賞しました。しかし、それでも鑑賞後は「観て良かった」という感覚に浸れる魅力が本作はあるのです。
まず一つは、恐ろしいシーンばかりでなく、絶妙な塩梅でユーモアが織り交ぜられており、激しいスピードで物語が展開していくことです。この観点から言えば、一級品の爽快なエンターテインメント作品に仕上がっていると言えるでしょう。そしてもう一つは、作品から浮かび上がってくるテーマです。
それぞれに譲ることのできない正義
上林はもちろん、刑事である日岡やチンタにしても、決して褒められた人間ではありません。ところが彼らには、それぞれの“正義”があるように思えます。
例えば上林の場合、過酷な環境で幼少期を過ごした彼に居場所を与えた石橋蓮司(80才)演じる故・五十子会の会長に、忠義を尽くそうとしていた。本作における上林の暴挙の原点は、五十子会長の仇を取ろうという復讐心からきています。つまり彼にとって、この目的の邪魔者を排除することは正義なのでしょう。
少なくとも“悪”だという自覚はないはずです。また、日岡やチンタにも、譲ることのできない自身の正義がある。そんなそれぞれの正義のぶつかり合いを描いているのが本作なのです。自分の正義に、そして誰かの正義にどう向き合うか。凄まじい熱量のエンターテインメントを堪能しながら、そんなことを考えさせられる作品となっていました。
◆文筆家・折田侑駿さん
1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。http://twitter.com/cinema_walk