ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(64歳)が、“アラ還”で感じたニュースな日々を綴る。昨年、4か月間、茨城の実家で93歳「母ちゃん」の介護をしたオバ記者。昨年末、母ちゃんは元々はいっていた施設に再び入所。オバ記者は年末年始をひとりで過ごすことに。どんな思いで令和4年を迎えたのでしょうか?
* * *
「施設はヤダ」と言っていた母ちゃんが上機嫌で入所
まあ、何はともあれ、いろんなことがリセットさせた気分になるという意味でお正月はめでたい。
だけどこれ、単なる私のトシのせい? 私にとって65回目の新たな1年が始まっても年が改まったという実感を持つのに、えらく大掛かりなことをしてやっとという感じ。どこかでまだ、真新しいカレンダーの前にボ~と立ちすくんでいる気持ちでいる。
いやいや、そんなことをうっかり昨年後半、介護していた母ちゃんに知られたら、「やっぱり親の世話できるのはうれしいが? ひとりの正月は寂しいか?」なんてとんでもないことを言われそう。暮れも推し迫った12月28日、前日まで「(施設は)ヤダけどな~」と言っていたけど、なになに、いざとなったらコロッよ。私を急かして施設行きの準備をさせて、スタスタ車に乗り込んで施設に着いたら、そこは職員さんたちもプロ。
「お帰りなさ~い」
「ヤマザキさ~ん、会いたかったよ~」
何人かが母親に抱きつかんばかりの歓迎をしてくれたら、すっかり上機嫌で、送って行った私と弟に「んじゃ、まだな」だって。
「パリに住む家族に会えない」美容師に…
で、翌日、弟の車に茨城暮らしの荷物を積んで東京へ。東北から常磐自動車道で東京に入った経験のある人ならわかると思うけど、三郷あたりでいきなり風景が東京に切り替わるんだよね。見渡す限りのビル群がバーッと眼下に広がるあの景色は、何回見ても胸がざわつくんだわ。
その時の状況次第で、「また明日から頑張らないとな」だったり、「ここで生きるしかないんだよな」だったりだったけれど、今度ばかりは心の底から開放感が湧き上がってきて、思わず「おおお~!」と叫んじゃったわよ。
で、暮れの東京に着いた翌日、何をしたかというと美容室。しかもファッション誌『Precious』などさまざまな雑誌でモデルさんたちのヘアを手掛けているヘアスタイリスト・津久井ヒロさんのサロンでカットとヘアマニキュアをしたの。
ここ何年かは諸般の事情で近所の15分1300円カットに行っていたんだけど、そりぁ仕上がりは雲泥の差よ。
「それなりのお金をいただいているんだから、そうでないと申し訳ないよ」と言うヒロさんのご家族は、1日20万人のコロナ感染者が出ているフランス・パリに住んでいる。お正月でもパリに帰れないどころか、もう2年も家族と会っていないんだって。
「オンラインで毎日のように話しているけど、それでも寂しいよね」と言うの。
「帰ってこい。帰ってここに住んでシモの世話をしろ」と言う老母と当分、会わなくてもいいと思っている私と、離れて暮らして会えない寂しさを感じているヒロさん。どっちがどうという話じゃないけれど、ちょっと考えちゃった。
大晦日の物々交換と年越しそば
大晦日は東京に住む幼なじみと食料の物々交換のため駒込へ。私が持っているのは田舎の友だちから送られてきたお餅が2種類と七味唐辛子。それから議員会館でいただいたカレンダーで、T子ちゃんからいただいたのは大ぶりのいちごで、F子からは筑前煮と靴下。
大晦日だからそれぞれ渡すものを渡したらサッサと解散したものの、私はちょっと困った問題が残ったのよ。
手違いで小分けにしていったお餅が1袋、宙に浮いてしまったの。駒込といえばかつて私が15年住んだ町で、仲良しもいるけれどちゃんとした家庭人は明日食べるお餅の用意は済んでいるはず。
それで頭に浮かんだのがFacebookで繋がっている駒込に事務所を構えるライターの奈良巧さんだ。彼は毎回、プロですか?もしかして料亭の息子ですか?ってくらい完成度の高い食卓をFacebookにアップしている人。ダメもとで連絡をしたら、「いただきます」とありがたいお言葉が返ってきた。
さらにありがたいことに年越しそばをご馳走になって、コーヒーと鯵の3枚おろしまで持たせてくれたの。
ああ、奈良さんとのツーショットを撮っておればよかったと思ったのは、翌元旦に、筑前煮とこれだけはと作った雑煮を食べながら、サッと炙った鯵を生姜醤油で口に入れたとき。会って話しているときは同業者同士、いきなり気楽なおしゃべりが止まらなかったのよ。