ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(64歳)が、今年8月から茨城の実家で始めた93歳「母ちゃん」の介護。ほとんど寝たきり状態だった要介護5の母ちゃんは、今では歩行器を使って外を歩けるまでに回復。文句を言うことも増えた。そんな母ちゃんに冬の間は、施設で過ごしてもらうことに。さて、嫌がる母ちゃんをどう説得するか。
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冬の間は施設入所が必要
「東北新幹線が新宿を通っていない? ウソよ!」と頑張る86歳の叔母を茨城の実家にお連れすると、彼女の姉であるわが母ちゃんと一緒に朝食を食べたり、2人にしかわからない思い出話をしたりした秋の1日。1泊した叔母を最寄りの大和駅まで見送って、ほっとしたのも束の間。ここからが本題なんだわ。
自分でポータブルトイレで用を足し、週に2度のデイサービスと2泊3日のショートステイも問題なくできるようになった母ちゃんを、どうしても冬の間は病院経営の施設に入ってもらわないとならない。
昨年、ちょうど同じ時期に極寒のわが実家でのひとり暮らしは無理という理由で同じ施設にお預けしたんだけど、そこで原因不明の心筋梗塞と意識障害を起こして大病院に運ばれ入院すること2回。コロナ禍で直接の見舞いが不可能のまま2か月入院したら、母ちゃんの容態はどんどん悪くなって、ほとんど口も聞けなくなり、寝たきりに。
自宅介護を始めたら急回復、文句まで言うように
担当医のU先生も「今後は家で看るのはいい選択だと思いますよ」とおっしゃってくれて、自宅に連れ帰ってきたのが今年の8月2日。まあ,私もその時は人生の最後を自宅で過ごしてほしいと思ったのよね。ぼんやりと私の顔を見ているだけの母ちゃんに、せめて「ヒロコ!」と言ってほしいと、そう願っていたの。
その一念で料理を朝晩作り、8月の下旬まではスプーンで食べさせていた。そうしたら意外と早く「ヒロコぉ~」と呼ぶようになったのはいいけど、それはポータブルトイレに座らせろコールよ。夜中から朝まで、4回も寝た体を起こさなきゃいけない。
で、看取りのつもりがいつの間にか介護になって、夏が秋、冬になったら…。婆さま、寝ながら私に「玄関の電気、消せよ」だの、「ご飯のスイッチ、入れたか?」だの指示を出すようになってきたの。すっかり“親ヅラ”。ってことは、もしかしたら家に帰ってきて私が深夜のトイレ介助をした頃のことは、記憶がないんじゃ?
それで寝たまま私にご飯を食べさせてもらっている動画を見せたら「あはは。これ、オレが? あはは、ああおかしい」だって。
そろそろバシッと本人に言わないと
しかし人間って、ここまで自分勝手に慣れるもんかしら。わが家にやってきたケアマネジャーのUさんに「冬の間、前に入っていた施設に入らない?」と言ってもらったら、「行きたがねぇよ!」と顔色を変えて怒り出したの。私も何度か、軽く「そろそろ東京に帰らないとなぁ」とにおわせていたけど今日という今日はバシッと言わないと、とケアマネさんと目くばせをしての切り込みだ。
「コロナもおさまってきたがら、私は仕事で東京に帰んなくちゃなんねぇんだよ。私がいなくてどうやってご飯食うんだ」と説得にかかると、「ご飯なんちゃ、ひとりでも半分でもどうにだってなっぺな」と、台所のほうを見ながら目だけ忙しく動かして、いまにも水仕事を始めそうなそぶり。
ババア、夏から私がしてきたことをどう思っているのか。「ひとりでも半分でも」って、私のカミ、シモの世話を軽んじるにもほどがある!と思うと怒りに火がつきそうだから、台所に逃げてしばらくして母ちゃんのほうを見たら、あ~あ、やっちゃった! ポータブルトイレに座って気まずい顔をしている。ってことは大惨事よ。
「この始末をひとりでどうつけんだよ」とぶん殴ったら、老人虐待か?なんて思いながら、黙って片付けたわよ。