
2月のバレンタインが終われば、次は3月のホワイトデー。冬から春にかけては、1年のうちでも特に甘いお菓子やケーキなどのスイーツがフィーチャーされる季節と言えそうです。そうしたなか、「恋愛ソングに歌われるスイーツは、なぜ『パイ』の存在感が強いのか」との疑問を呈するのは、1980年代〜1990年代のエンタメ事情に詳しいライターの田中稲さん。往時のヒット曲を振り返りつつ、答えを探ります。
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竹内まりやは恋の甘酸っぱさをピーチパイに例える
恋心や思春期とお菓子はとてもよく似ている。瑞々しいフルーツ。甘い甘いチョコレート。ぷーっと膨らむチューイング・ガム。恋愛ソングでも大人気だ。
これらは理解できる。が、私が常々不思議に思っているのが、パイの存在感である。現実的に考えればショートケーキのほうが人気の王道。イチゴショートなど、恋愛のウキウキと重ねやすそうではないか。
しかし歌の世界では、ケーキは意外に出てこない。ケーキだけではない。パフェやクレープなどの人気スイーツより「パイ」が俄然トキメキ指数高し。恋愛を表現する小道具として活用度が高いのだ。なぜ!
代表的なところでは、竹内まりやさんの4thシングル『不思議なピーチパイ』(1980年)。言わずもがな、チャーミングの極みのような激可愛い曲である。作詞は安井かずみさん。恋の不思議さ、隠しきれない甘酸っぱさを「ピーチパイ」に例えるなんて最高! これを聴くと恋をしたくなり、同時にピーチパイを食べたくなる。

しかし私はピーチパイが販売されているお店をあまり知らない。自分で作るにも、パイはクッキングスキルがかなり必要である。だからこそ余計に憧れた。
3人組グループ・PANSY(パンジー)の一人、北原佐和子さんの2ndソロシングル『スウィート・チェリー・パイ』(1982年)に心躍らせた人も多いだろう。音程の揺れは凄まじかったが、その不安定さが恋のドキドキを余すところなく表現していた。今聴いてもキュンキュンする。

女性デュオあみんの由来はさだまさしの「パイ」曲
チェリー、ピーチ、レモン、アップル。具のバラエティが豊富なパイの可能性は無限。なるほど、これも歌の世界でパイが重宝される一因なのかも。
さだまさしさんに至っては『パンプキン・パイとシナモンティー』(1979年アルバム『夢供養』収録)と、なんとかぼちゃをチョイス! さすがフォーク界の吟遊詩人、いつの世も女性が大好きな「芋たこ南瓜」に目をつけるとは……。
スキップのように弾む弦の音色、小説の1ページのようなコーヒーショップの描写。学生たちのざわめきが聴こえてくるようだ。人気メニューのパンプキン・パイを、男子は「パンプキンなんて言うけど、ただのカボチャじゃねーかよー」なんて言いつつ笑う。そんなアオハルなシーンが見えてくる、ものすごく愛しい曲である。
この歌のロマンスの主役は、アラフォーのマスターだ。いつもパンプキン・パイを頼む女性に恋をする。私は学生たちと一緒にマスターを見守り(聴き守り)、ハッピーエンドを想像して、ホロッとするのだ。
この歌に出てくるコーヒーショップ「安眠(あみん)」が、1982年、『待つわ』で大ヒットを飛ばすデュオ「あみん」のユニット名の由来になったのも素敵なエピソード。パンプキン・パイは、恋だけでなく、新たなハーモニーを生んでいた。

歌謡曲におけるパイ人気の理由、プロの見解は…?
このように、歌に愛されるスイーツ「パイ」。実は過去、私は歌謡曲におけるパイ人気の理由として、「女性の胸を表現する“ぱい”という音と掛けて、恋心の胸騒ぎを表現していた」という仮説を立てていた。我ながらいい線なのでは、とも思っていた。
そして数年前、音楽の第一線で活躍している方にお会いする機会があり、上記の説を披露しつつ、歌の世界でケーキよりパイが人気な理由を聞いてみた。すると「(パイに比べて)ケーキという言葉はメロディに乗せにくい」という意見が返ってきて、さすがプロの目線は違う、と感動した。
と同時に、オヤジギャグのような深読みをした自分が猛烈に恥ずかしくなり、以来この仮説は封印している。
パイという可愛らしい音、それだけで十分。なにやら肯定の返事「はい」とも通ずるではないか。そこに恋の甘さ、純粋さを表すフルーツやベジタブルがプラスされることで、たまらなくテイスティな名曲が生まれていく……。それに尽きる。深読みなど野暮の極み!
答えなどなくていい。歌謡曲は、ミステリアスくらいがちょうどいい。
バイバイ、パイ——。一方的な分析はここで終わりにしよう。書くだけ書いたらパイが食べたくなった。ということで、たまらず買ってきたアップルパイを食べて締めることにします。いただきます……。

おいしい。サクサク歯ごたえ最高。生地に包み込まれた、甘く煮たリンゴとジンジャーのハーモニーよ。ただ、食べている端からボロッボロ落ちていく。こぼしたくないから受け口になる。ひいっ、パイ生地のカスでテーブルが大変なことに!
とっても美味しいが、キレイに食すのがものすごく難しい。
嗚呼、やっぱりパイは恋と似ている。
◆ライター・田中稲さん

1969年生まれ。昭和歌謡・ドラマ、アイドル、世代研究を中心に執筆している。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)、『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)がある。大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し、『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。他、ネットメディアへの寄稿多数。現在、CREA WEBで「勝手に再ブーム」を連載中。