
誰もが知る有名居酒屋チェーンでは、元専業主婦の目線が経営に生かされていました――。居酒屋チェーン「世界の山ちゃん」のエスワイフードを率いる山本久美さん(54歳)は、創業者で会長だった夫の急逝により、専業主婦だった49歳のときに代表取締役に就任することに。経営は未経験だったものの就任3年で過去最高の売り上げを達成しました。山本さんが普段の仕事、そして家事で心がけていることとは? ご本人にインタビューしました。【前後編の後編】
自分が輝いているときほど周りに感謝を
――山本さんはミニバスケットボールのチームを全国優勝に導いた経験がおありですが、小学校教師時代のそうした経験は経営にも生きましたか?

山本:すごく生きていると思います。スポーツのチームと飲食店のスタッフたちの在り方って似た部分があるんですよ。それは主人(同社の会長だった山本重雄さん)とも話していたことです。例えば、選手起用などの采配と、店舗スタッフの配置なんかはよく似ています。各選手(スタッフ)の得意なこと、苦手なこと、選手(スタッフ)同士の相性も加味しながら適材適所を目指すわけです。
それと私の場合は、小学校の先生っぽいところが会社での態度に出ていると思います(笑い)。現場を回っては直接、スタッフに声をかけて、お誕生日だったらお祝いを言って。中学になると教科で担当教師が分かれますが、小学校はいろんな科目を1人の先生が教えるので、先生と子供たちってかかわりが深いんですよね。私はそういう“べったりグセ”が抜けないみたいです。
でも、大人だって、誕生日か何かをきっかけにしてでも声をかけられたりすると「自分は見てもらえている」という感覚が生まれて、モチベーションが上がったりするものです。心の距離も近くなりますし。そういうことは教師経験のおかげか、躊躇なくできますね。
誕生日のスタッフにメッセージ
――では、専業主婦のご経験が仕事に生きたと感じることはありますか?
山本:それもやはり人とのかかわりの部分に生きたと思います。会長は「スタッフみんなを家族のように思って接しよう」と言って、社員のご家族のお誕生日にもお花を贈っていました。その感覚を私も受け継いでいます。

私、仕事の必携アイテムといったらiPadなんですよ。なぜかというと、カレンダーアプリを確認して、誕生日のスタッフにメールとはがきを忘れずに送りたいからです。
社員に対して、どこかお母さん目線、お姉さん目線なのかもしれません。例えば、社内で何かトラブルやミスがあったときに、飲食業は体育会系のムードなものですから、幹部が厳しい口調で叱ることもときにはあります。そうしたときに私は「でも、本人の話をもっと聞いてみようよ」とか「言い方、そうじゃないんじゃない?」とか幹部のほうにやんわり言ってしまう。一方、ミスした人が落ち込んでいたら声をかけるので、幹部からは「代表は甘い」「過保護なんだから」と言われてしまいます。

いろんな人がいてこその組織
――でも、そうしてフォローする人がいれば、これまでの(体育会系の色が強い)飲食業界では働けなかった人材も心が励まされて活躍できるかもしれませんね。
山本:いろんな人がいてこその組織だと思うんですよね。スポーツのチームもそう。バスケなら一度にコートに立てるのは5人ですが、リザーブの選手や、ベンチ入りしていない選手がいてチームは成り立っています。レギュラーの5人が力をつけたのも、他の選手たちが練習相手になってきたからです。
そういうことを理解していると、コートに立つ人は試合に出られない人の思いも背負うから、つらいときも土壇場で頑張れる。嫌なことやつらいことがあっても簡単に心が折れたりしないんです。
飲食業でいえば、店長や接客が上手な店員は花形です。働いていて楽しいでしょうし、お客さまから「いい店長だね」「素敵な店員さんだね」と言っていただく機会もあります。でも、その陰には、お皿をタイミングよく下げてくれる人、汚れ物をどんどん洗ってくれる人、掃除を頑張ってくれる人、手羽先を揚げ続けてくれる人がいる。そういう人たちがいて、接客上手なスタッフが輝けるんです。

だから、自分が輝いている、楽しく働けている、人から褒められた、そういうときには必ずその陰にいてくれる人のことを思って、感謝を口に出して伝えてほしいと、普段から店長たちには話しています。
相談相手は信頼できる1人か2人だけに。決めたらもう迷わない
――代表として、難しい判断を迫られる場面も多々あるだろうと思うのですが、物事を決めるときの方法やプロセスを教えてください。
山本:相談相手は絞ります。たくさんの人の意見を聞きすぎると混乱すると思うので。またバスケを例に取りますが、よい指導者になろうとして、いろんな人に教えを請う人がいます。でも、それって難しいんですよ。名将と呼ばれる人々にはそれぞれ異なるこだわりがあって、あれもこれも聞くと筋道が合わなくなる。複数のストーリーを自分で整理して融合できる人でなければ失敗します。
だから私は信頼する1人か2人にだけ話します。相談して意見をもらった上で、最後は自分で考えて決めます。
そして、決めたらもう迷わない。決めたけど失敗したらどうしよう、なんて思ってしまったら堂々巡りです。決めたらうじうじしない。決めたあとに誰かに相談することもしない。失敗したらそのときまた考えます。

コロナ禍で社員から出た取り組み
――ところで、新型コロナウイルス感染症が流行して約2年になります。社会全体も飲食業界も苦しい状況ですが、そんななかで起きたよかった出来事や新しい取り組みがあれば聞かせてください。
山本:コロナ禍で店舗は一時休業することもありましたが、デパートの売り場や催事は営業を続けられました。すると、休業中の店舗の社員から「催事の応援に行きたい」という声が自発的に上がったんです。催事の現場を初めて経験した社員たちは、「催事は店舗とはまた違った大変さがある」「思っていたよりハードだった」と言っていましたね。手伝ってもらった側にはもちろん感謝が生まれるし、お互いをより認め合えるようになったようです。
他には、店舗休業日にみんなで自然に親しんで山登りなど、屋外でのレクリエーションを企画しました。そうすると、忙しい営業中には話せなかった人、持ち場が離れていてかかわりがなかった人とも交流が生まれるんですよね。チームワークの醸成によかったと思います。
――会社としての今後の目標を聞かせていただけますか。
山本:今、当社は私が代表で、別の若くて優秀な人が社長として手腕を発揮していますが、これからはもう少し多角化していきたいという考えで一致しています。同じ飲食で多業態、さらに飲食から派生・関連する異業種へも少しずつ参入していけたらと。
新業態でいえば、今すでにキッチンカーでの販売を拡大しているところで、キッチンカーのフランチャイジー募集も始めました。他に、まだ形になっていないけれど進めているものもあります。
家事は完璧を目指さないで好きなことを頑張る
――1人の女性として、今後やってみたいことは?
山本:もともと優秀な社長が引き継いでくれるまで頑張ろうと思ってやってきたので、今後は少しずつ家庭での時間を増やそうと思っています。子供たちとの時間、いつか生まれるかもしれない孫との時間を大事にしていけたら幸せだなと思います。
会社のほうは、働くみんなが幸せになれる会社にしていきたいですね。飲食はブラックだとよく言われますが、私たちはそういう会社じゃないと思っています。私はこれからも“会社にいるみんなのお母さん”のつもりで、適材適所で仕事を任せながら見守りたい。社員の皆さんがもっと成長できて幸せになれる会社にしていくことが私の仕事だと考えています。
――代表に就任した当初、山本さんにはまだ小さいお子さんもいて、家事・育児と仕事の両立はハードだったと思うのですが、コツや考え方を教えてください。

山本:代表になったとき、下の子がまだ小学校2年生でした。上の2人は中学生だったので、「これからはママがお父さんとお母さんの両方をやるけど、きっと完璧じゃないし、今までと同じにはできないこともあるから協力してほしい」と話しました。彼女たちなりに理解してくれたようで、ちょっとした片付けなどをやっておいてくれることがありました。
1つ、こだわったのは「食」ですね。子供たちが大きくなり、今子供たちにしてあげられる事は少なくなっているので食事だけは絶対に手を抜かないと決めています。朝早く起きて、朝食と昼のお弁当を作って、夜の分まで下ごしらえして。
冷凍食品やミールキットも美味しくて便利だと思うんですが、使う習慣がないんですよ。ただし、うちが監修させていただいた手羽先をテイクアウトして副菜にすることはあります。帰り道にあるお店でフライドチキンを買って帰ることもありますよ(笑い)。あの味は家庭では出せませんし、子供も喜ぶので。
料理は頑張っていますが、掃除や片付けはしばしばおろそかになっていたり…。全部を完璧にはできないので、自分にもストレスにならないよう、あまり無理しなくてもいいのかなと思っています。
「男だから」「女だから」という考えはない
――女性の登用についてはどのようにお考えですか?

山本:当社では私が代表になって、女性のスタッフが増え、女性の店長も誕生しました。ただし、私は「男だから」「女だから」という考えはないんです。特別に「女性を引き上げよう」というのではなく、性別に関係なく人をフラットに見て、頑張っている人にはふさわしいポジションを。そういう方針です。
――最後に、同年代の女性にエールをいただけますか?
山本:失敗を恐れずに、興味を持ったことはやってみるといいと思います。この年齢になると、何をするのもおっくうになりますよね。体も疲れやすくなっていますし。でも、すごく壮大なことは難しいかもしれませんが、小さなことから始めれば今からでもまだまだできると思います。
何事も自分一人でできることには限りがあるので、ぜひ周りを巻き込みながら挑戦してください。自分のダメなところをさらけ出して、素直に「助けて」と言えば助けてくれる人はきっといる。やってみて失敗したら後戻りするのは簡単なことです。やってみなければ失敗もないけど成功もない。ぜひやってください、体が動くうちに!
◆株式会社エスワイフード代表取締役・山本久美さん
取材・文/赤坂麻実