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伊藤健太郎が「誰しも持つ未熟さ」を表現 復帰作『冬薔薇』で見せた演技者としてのセンス

”未熟さの塊”のような人物を等身大で演じる

伊藤さんといえば10代のうちに俳優デビューし、映画にドラマに舞台にと、ジャンルを問わずさまざまな作品に出演してきました。ドラマ『今日から俺は!!』(2018年/日本テレビ系)や映画『惡の華』(2019年)といった自身の代表作も得て、気がつけば引く手あまたの存在に。出演作ごとに新しい顔を見せてくれる伊藤さんは、もはやエンタメ界になくてはならない人材であり、彼のさらなる飛躍を期待する声もよく耳にしたものです。

監督は不祥事のことも含めて話を聞いた

そのさなかに起こしてしまった自動車事故による不祥事。それについて本稿で深くは言及しませんが、ワイドショーをにぎわせていたこともあり、ご存知のかたは多いのではないかと思います。阪本監督はこのことも含め、伊藤さんに話を聞いたそうです。

『冬薔薇(ふゆそうび)』場面写真
(c)2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS
写真10枚

本作で伊藤さんが演じる淳は、非常に思慮が浅く軽薄な人物です。周囲に流されては悪事を働き、親の期待を裏切り、気持ちを切り替えようとしても空回りの連続。かといって完全な悪人というわけでもありません。彼はただただ未熟なのです。満たされない現状に苛立って大口を叩いたり、大切な人の前で素直になれず傷つけてしまったり。そういった経験は誰しもあるものですし、若者に限った話でもないでしょう。

淳というキャラクターは、誰もが抱える未熟さの塊のような存在なのです。もちろん、伊藤さんと淳は違う人間で、いくら阪本監督が当て書きのために伊藤さん本人に話を聞いたといっても、それは映画作りのヒントに過ぎません。伊藤さんのネガティブなイメージがどうにも世間に浸透してしまったこともあり、とてもよく役にハマっています。しかし一番に注目すべきは、誰しもが持つ未熟さを、伊藤さんが等身大で体現していることにあるのです。

ポジショニングが的確な演技

筆者は伊藤さんの出演作を初期の頃から追ってきましたが、やはり彼はバツグンに上手い。演技の良し悪しは観客の好みや感性に左右されるものなので、そう簡単に「上手い」などと言えるものではありません。けれども彼は、やっぱり上手い。

『冬薔薇(ふゆそうび)』場面写真
(c)2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS
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まず何より本作においてはポジショニングが的確です。『冬薔薇』は淳の成長物語である一方で、閉鎖的な町に生きる者たちの群像劇という側面も持っています。つまり、それぞれの登場人物の人生が描かれているわけです。伊藤さんは主演として淳のキャラクターを主張すべきところでは主張し、ほかの人物が主体となるシーンでは少し引いてそのキャラクターを引き立てます。

“この場面では何を見せるべきか?”というのを把握しているからこそできるのだと思います。

『冬薔薇(ふゆそうび)』場面写真
(c)2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS
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セリフ以上に饒舌な目や耳による表現

そして、目や声による柔軟な表現は、淳が感じている苛立ちや居心地の悪さをセリフ以上に物語っています。改めて、俳優・伊藤健太郎の演技者としてのセンスに唸らされるというものです。一時は俳優活動を休止していた伊藤さんは、本作で芝居ができる歓びを噛み締めたといいます。『冬薔薇』は彼の俳優業への想いが刻まれた作品であり、日本が誇る映画人に囲まれての、幸福な再出発を果たした作品なのです。

◆文筆家・折田侑駿

文筆家・折田侑駿さん
文筆家・折田侑駿さん
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1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun

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