
専業主婦から17年ぶりにキャリアを再開し、現在は外資系ホテルの日本法人社長を務める薄井シンシアさん(63歳)。連載「もっと前向きに!シン生き方術」では前回に続き、薄井さんと、フリーランスとして経営者の業務サポートやマネジメント、企画・運営などを行う井上真理子さんの対談をお届けします。対談第3弾のテーマは仕事選び。特に若年層に敬遠されがちだという営業の仕事について、接客や営業の経験を持つ2人の視点で語ってもらいました。転職や再就職の参考にもなるはずです。
「中途でも実績しだいで昇給」「人間的成長」、営業職のメリット
――新入社員を中心に、営業職に苦手意識を持つ人が多いと聞きます。そのような気持ちをSNSに書き込む人も多いですし、企業側で最も不足しているのは営業人材だという調査記事も。お2人は営業や接客の仕事を経験されていますよね。
シンシアさん:営業を嫌だという人が多いのは、不思議ですね。営業と接客って今後もなくならない仕事じゃないですか。事務の仕事が人気なのは私も知っていますが、事務系はAIや機械に置き換わっていく傾向があるのにどうしてだろう、と思います。

真理子さん:今はエンジニアやWebデザイナーなど、パソコンに向かう時間が長い仕事に興味を持つ人が多いように思います。でも、それが好きでやりたいという人ばかりではなく、「時代に合っているから稼げそう」「高い対人スキルが要求されそうな仕事は嫌」というような感覚で志望している人も多い印象です。
仕事って本当はもっと面白いことだと思うんですけどね。営業にしろ、接客にしろ、人との関わりのなかで学びがある。人と向き合う仕事って簡単じゃないけど、だからこそどんどん研究するし、人間的な成長の機会も転がっている。その人ならではの“色”を出していける仕事だとも思います。
――研究というと、例えばどんなことなんですか?

真理子さん:私は看護師を10年以上やっていて、当時は日々、患者さんと接していました。患者さんに前向きになってもらうことも看護師の大切な役割なので、こういう言い方をしたらこういうタイプの人が前を向いてくれるとか、また別のタイプの患者さんにはこういう声がけをしてみると目の色が変わるんだなとか、アプローチの方法を探っていました。
その人のそのときだけを見ていてもダメで、人生経験や背景も踏まえて、人間性を見極める。難しいですが、そこに面白みも感じていました。
誰もがどのタイミングでも、やりがいのある仕事に就けるわけではない
――コミュニケーションを変えて、どんなタイプの人からもポジティブな反応を引き出していくんですね。すごく頭を使うし、やりがいもありそうです。
シンシアさん:「やりがい」という言葉は怖いですよ。誰もがどのタイミングでも、やりがいのある仕事に就けるわけではない。家庭の状況、自分のキャリア、人生のタイミングで一時的にやりがいを感じにくい仕事にしばらくとどまったり、そこからステップアップする計画を持ったりするのもアリです。
その上で言いますけど、現実問題、私みたいなワケアリ人材にとっては、営業が一番手っ取り早いんですよ。営業って数字を出せる人(業績を上げられる人)が強いんです。年功序列が絶対の環境だと、途中から入ってもどうにもならない。後から入って誰よりも加速したいんだったら営業にはチャンスがあります。自分で今さらどうにもならないことで頭を押さえつけられずに済むんです。

真理子さん:そのあたりの感覚は、世代差がありそうですね。私たちぐらいから上の世代って、子どもの頃から成績の比較や競争が普通にあったけど、今は比較や競争より、自由、平等という考え方。学校時代に、数字を出すことで周りより頭一つ抜きんでる、みたいな経験をしてこなかった人は、営業職での価値観に順応するのに多少時間がかかるのかもしれません。
私は今年40歳になりますが、ちょうど教育の変わり目の世代なんですよね。下の世代とは感覚が違うので、自分が先輩になったとき、指導の仕方にもすごく悩んだ覚えがあります。自分が先輩から受けた指導をそのまま後輩にすると、(厳しいと感じたりして)「つらい」「辞めたい」となってしまうので、そこは伝え方を変えないと。
口コミ以上に業界の好不調を意識して会社選びを
シンシアさん:真理子さんのように気遣いをしながら教えてくれる人もいるし、営業は全部つらいんだと思い込んでしまうのは極端。会社をしっかり選べばいいと思うんですよ。いきなり「数字だ」「ノルマだ」「さあ競争しろ」じゃなくて、ちゃんと教えてくれる会社を選ぶべき。「あなたが達成すべき数字はこれ」「そのためにはこうするといい」と、目標達成のためのツールをくれる会社なら、誰でも闘いようがあると思います。

――会社の事業や規模は調べられるけど、そのあたりの業務のやり方って、入ってみないと分からないところもありそうですね。
シンシアさん:私は、転職の面接や会社側との面談では必ず質問します。「あなたたちの課題や目標は分かりました。それで、私にどんなツールをくれますか?」って。会社は常に「少ないリソースで結果を出せ」と言ってくるものです。中には、目標とリソースに理不尽なぐらいギャップがある話もあります。そういうときは「今あるリソースを洗い出して見せてもらえますか。目標と見比べて達成可能かどうか見極めさせてください」と伝える。
ここまでは言えないにしても、意識の持ち方として“自分だけが選別の対象になっている”と思わないほうがいいですね。もっと積極的に主体的に、自分が働くに適した会社かどうか判断する。こちらでも選別するという意識を持ったほうがいい。働き手にも選ぶ権利があります。

真理子さん:就職活動、転職活動のときって、どうしても「採用していただけるんですか? ありがとうございます!」みたいな意識になりがちです。でも本来、採用ってマッチングなんですよね。だから面接で企業の文化や風土も含めてチェックするという意識で臨みたい。「受からせていただきます」と恐縮ばかりしているとミスマッチが起きるんじゃないかなと思います。
シンシアさん:時代も時代ですしね。これだけ人手不足なんだから。まして営業人材が足りない会社が多いんでしょう。だったら、営業をやります、ただし、ちゃんとツールをくれる会社に行きますという考え方にしたらどうだろう。
カルチャーが合わない会社で働くって、すごくつらいこと
真理子さん:SNSを見て営業職や接客業に対する負のイメージを膨らませている人も多いと思います。でも、SNSって特に匿名で投稿する場合だと、いいことや成功体験を書くより、グチを吐き出す人が多いので。受け取る情報が偏っている可能性は大いにあるんじゃないでしょうか。
シンシアさん:就職先を探すときは、SNSより経済情報チェックするといいですよね。伸びている業界の営業は簡単ですよ。お客さまのほうから営業を呼んで話を聞きたいと思っているんだから。特別な話術もカリスマ性も必要ありません。問い合わせをさばいていけば実績ができます。

真理子さん:業界を見るの、大事ですね。転職サイトを見ていても「未経験OK」をうたっていて、かつ給料が高い求人は、やっぱり(市況が)厳しい業界の営業が多いです。だから条件だけ見て食いついてしまうと、働き始めてから、ハードさに驚くようなことになってしまう。
就職先を選ぶときに、募集要項と給与だけじゃなく、どういう業界で、この会社の文化はどんな感じで、どんな研修を受けられて、どんなサポートがあるのか、そういうところもしっかり確認したいですね。
カルチャーが合わない会社で働くって、すごくつらいことだから。実は私も、業界や会社のやり方になじめなくて早々に辞めてしまった仕事もあるので、本当にそう思います。でも逆に、ちゃんと合うところに行けば、自分では向いていないと思っていた人でも営業や接客で活躍できる可能性はある。そういう磨かれるべき原石みたいな人が実はたくさんいると思うんですよ。
お客に恐縮しすぎない、“マッチング”と捉える接客・営業
シンシアさん:私はうちのみんなに「全員が営業だよ」「接客担当だよ」と常に伝えています。「ホテル内のどの仕事をしている人であれ、お客さんがエントランスへ一歩入ってきた瞬間、客室から廊下へ出た瞬間にあなたに笑顔があるかないか、それがとても重要」という話をします。セールストークはしないにしても、お客さまとコミュニケーションするという意味では、それもまた営業。実は毎日みんな営業しているんですよね。

真理子さん:その通りだと思います。それに、「社内営業」という言葉もありますけど、総務や経理といった事務方でも、営業のような活動をすることで、業務が円滑になったりするのをみんな知っていて、実際そうしている。だから、そんなに心配しなくても、営業や接客の仕事が務まらないっていうこと、そうそうないんですよ。近いことは人生の中ですでに経験してきたはず。
――スタッフみんなが営業担当(という意識)のシンシアさんのホテルでは、お客さまとの間で難しい局面などはありませんか?
シンシアさん:いろんなお客さまがいらっしゃるので、いつも平穏無事とはいきません。スタッフのみんなもお客さまからキツい調子で何か言われたりするのを一番怖がっていると思います。だから私はいつも言うんですよ。「大丈夫だよ。この商売、あなたが何をどうミスったって誰も死にやしないから」「間違ったらあとで対応すればいいよ」って。
真理子さん:こういうかたがトップだと心強いですね。
シンシアさん:それぐらい言わないと、みんな固まっちゃって出来ることも出来なくなっちゃう。
失敗から学んだり成長したりすることもある。ピンチは時にチャンスに
真理子さん:ここ何年か、もうちょっと長い期間かな、失敗をものすごく嫌う風潮があると思うんですけど、でも失敗から学んだり成長したりすることってありますよね。お客さまとの関係の上でもピンチは、時にチャンスだったりする。例えば、クレームが入っても、そこで落ち込んだりうろたえたりしないで、いい対応ができると、逆にファンになってもらえることもあります。まあ、とはいえクレームってやっぱりヒヤッとしますけど(笑い)。
シンシアさん:誰だってそうだと思います。だから私は「あなたが考えたベストの判断でやって」「どうにもならなかったら、このお客さまには1泊分無料で対応するから大丈夫」と声をかけます。
真理子さん:そう言ってもらえると落ち着いて対応できて、結局は深刻な事態にならずに済みそうです。

シンシアさん:そうだといいなと思っていますけど。みんな焦ってしまうけど、そもそもそんなに大変なことって別にないでしょう。お客さまを5分待たせてしまったとして、それで寿命が縮まるでもないし、わざとモタモタしているわけじゃないんだし、落ち着いて順番にやっていけばいい。
みんな責任感が強くて真面目なのはいいけど、そこまで引き受けなくていいんですよ。これはビジネスなんだから、お客さまが支払う代金、ホテルが提供するサービス、それが見合ってお互いWIN-WINでないと成り立たない。あまりに過度な要求をされたら、私はその方にチェックアウトをご提案します。
――サービスと対価が見合っているか、一般にはユーザーが「コストパフォーマンス」といった言葉で評価をしますが、事業者側でもそのバランスを意識して当然だということですね。
真理子さん:私はフリーランスとして働いたときに思ったんですが、そういう真っ当なことを受け入れてくれるお客さまが集まってこないと仕事にならないんですよね。無茶な要求をする人に対してはどこかで線を引かないと、自分で自分の首を絞めてしまうことになる。お客さまは選ぶべきです。
お金をたくさん払ってくれる人を選ぶという意味ではなく、“まっとうな”お客さまを選ぶこと。さっきの採用の話と通じるものがありますね。サービス提供する側とお客さまもまたマッチングなんだと思います。
シンシアさん:そう、マッチングですね。
◆LOF Hotel Management 日本法人社長・薄井シンシアさん&井上真理子さん

薄井シンシアさん/1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う大学のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラ社に入社し、オリンピックホスピタリティー担当就任するも五輪延期により失職。2021年5月から現職。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia
井上真理子さん/大学卒業後看護師としてキャリアをスタートさせ、看護師経験10年を経て美容業界に転身。美容専門学校教員、ヘアメイク講師、フリーランスヘアメイク、エステサロン受付、注文住宅営業、製薬会社プロジェクト立ち上げ等経験。現在はフリーランスとして経営者の業務サポートや、マネジメント、企画・運営などを担当。
撮影/黒石あみ 構成/赤坂麻実、編集部
●薄井シンシアさん、心の不調を抱える人に「陰ながら応援」ではなく「具体的な支援」と考えるワケ