
専業主婦から17年ぶりにキャリアを再開し、外資系ホテルの日本法人社長などを務めた薄井シンシアさん(63歳)。連載「もっと前向きに!シン生き方術」では前回に続き、フリーランスとして経営者の業務サポートやマネジメント、企画・運営などを行う井上真理子さんの対談をお届けします。対談ラストとなる今回のテーマは、転職などにおけるリスクの捉え方、情報リテラシーなど。スマートな暮らしのヒントが満載です。
シンシアさんが3か月契約に変更した理由
――前回、転職活動時の志望企業や、勤め始めてからの会社側、そして自分がサービス業の従業員である場合のお客との関係を、もっとフラットに捉えて、マッチングのつもりでコミュニケーションしようという話がありました。ただ、なかなか会社側やお客と対等のようには考えられないという人も多いだろうと思います。
シンシアさん:それはそうでしょうね。ある程度の力を持たなければ言えないこともあります。だから、私は権力を握りたかった。事情によってはお客さまにチェックアウトをおすすめすることもできるし、うちの従業員の待遇のことを本社と折衝できますから。例えば本社が「新拠点の人件費を抑えたい」と言ってきたら、「それじゃ働き手が集まらないから、拠点を2か所ほど閉めて、スタッフに異動してもらいますか?」と言ってしまう。

投資家がお金を稼ぐわけじゃなく、実際に現場で手を動かす人たちが稼いでいるのです。それなのに、その人たちの人件費を抑えるというなら、そんな店舗は成り立たないから閉めたほうがいいからです。
でも、机上でソロバンをはじいている人たちに。現場のリーダーが当たり前のことを言えない状況が多々ありますよね。みんな、守りたい立場、収入がある。家族を養っている人は余計に守りの姿勢になりますし。だから私が言うんです。私は一人暮らしだし、クビになったらまた新しいことをやるだけです。
契約社員の正社員登用も推し進めた
――実際に、日本法人社長としてさまざまな交渉をされていたののですか?
シンシアさん:このホテルとはもともと1年契約でしたが、今年5月からは3か月更新にしてもらいました。契約期間を短くしたのは、給料を50%カットしたからです。コロナ禍で今は経営が苦しいとき。経費を削減する必要があります。
一番大きい経費は、人件費。人件費で一番大きいのは当然、トップである私の給料です。だったら、みんなの給料を削減するより、私一人の給料を大きく減らしたほうが早いでしょう。影響が1人で済みます。そこで、本社が「それでは次年度は50%カットで」って言うから、ちょっと待ちなさいよと(笑い)。1年ずっと給料半分の約束はしません。業績が上がったら、もちろん相談させてもらいますと。
それと一緒に、契約社員の正社員登用も推し進めました。本人が契約社員のままでいたいなら構いませんが、会社は正社員登用の道を用意すべきだと思います。勤続6か月以上で希望する人は、みんな正社員になってもらうことに。正社員になると給料は、3%アップでした。

真理子さん:シンシアさんのLinkedInでシンシアさん自身の契約のことを知って、すごく感銘を受けました。政治家のかたがたにも、結果を出して報酬を受け取るという考え方をしてほしいなと思ってしまいました。日本をマネジメントするという意味では政治家も経営者ですから。
リスクをひたすら忌み嫌うのは違う
――真理子さんは、看護師として手に職をつけていながら、何度も転職を経験されたのはどうしてですか?
真理子さん:私は子どもの頃、病気がちだったので、看護師さんのお世話になりましたし、憧れて看護師になったんです。ただ、実際に働いてみると、病院って職場としてはかなり独特だと思いました。詳しくは控えますが、私が働いている職場は狭い世界でいろいろと理不尽なことが頻繁に起きました。
シンプルにそれが嫌でしたし、患者さんは会社員がほとんどなのに、そういう一般企業で働いている人が当たり前に知っているようなことを私は何も知らなかった。この世界しか知らないまま生きていくのはどうなんだろうと思ったんです。

せっかく手に職をつけたのに転職しなくても、という考えも分からなくないですが、転職がうまくいかない可能性より、動かない(転職しない)自分の将来のほうが怖いと感じていました。時間は戻らないので、チャレンジはしようと思ったときにしないと。「あのとき、やっておけばよかった」っていうのは“一番後悔する後悔”だと思うんですよ。やってみて失敗したときの後悔より大きいと私は思うので。
シンシアさん:なるほど。やっぱり真理子さんは絵を描く人だなと思いました。感性を大事にしている。私はバリバリに計算で動く人間だから思うんですが、真理子さんはこの看護師不足の国で看護師の資格と経験を持っていて、いつでも看護師に戻れるわけで、だから(転職という)冒険したほうがいいという判断が下せたんじゃないでしょうか。
真理子さん:確かに。(就職に)困ったら看護師の資格があるのは強みだなと思っているところはあります。
――せっかく手に職をつけた「のに」ではなくて、手に職をつけた「から」冒険できると。

シンシアさん:計算できますよね。先日、外資系で働く女性から「海外に出てみたいけど迷っている」という相談を受けたんです。私は「すぐにも行くべき!」と答えました。日本は人手不足だし、英語のスキルや外資系企業で働いた経験は日本でごく一部の人しか持っていません。彼女が海外でうまくいかなかったとしても、帰国して働き口はいくらでもあるわけです。
私は、なんでもかんでも挑戦することがいいとは思いません。同じ会社に勤め続けることが悪で、転職が善だとも全く思わない。ただ、リスクをひたすら忌み嫌うのは違うと思うんです。リスクは避けるものではなく計算するもの。これはリスクがあるけどメリットが大きいし、損が出てもあとから取り返せるとか、そういう計算をした上でリスクを取っていけばいい。
真理子さん:生活困窮者への公的な支援もありますし、ざっくり言えば何か大失敗したとしても「日本って死なない国」だと思うんですよ。
シンシアさん:そんなに怯えなくていいのでは、とも思いますね。
自分の悩みを分解すると、漠然とした「怖さ」はなくなる
――生活の質が今より落ちたら嫌だなと思ったり、家族に迷惑がかかったらと考え込んでしまったり、他人の視線が気になったりするのかもしれません。
シンシアさん:人からどう思われても、痛くもかゆくもないですよ。「だから?」で済む話。
真理子さん:それにみんな、さほど他人に興味ないなって思いますね。自分のことで忙しいし、他人が何か失敗した話なんて、いつまでも覚えていないですよ。

シンシアさん:3日も経てばみんな忘れます。「(悪い意味で)目立ちたくない」とはよく聞きますが、心配しなくても目立ちません。同質性が高い日本社会、多少のことをやらかしても周りとすごく違うわけじゃない。もう少し違っていい、好きにしたらいいと思います。
真理子さん:私たちは“右向け右”の教育を受けて大人になったので、ちょっと周りと違うことをするだけで、もう全然違うことをしている気分になってしまうのかも。
でも本当は、若い世代のほうがもっと奇想天外なことをやっている。YouTubeで若い投稿者が人気になるのもそういうことですよね。ユニークなアイディアを出して、それを臆せず実行できているからだと思います。
シンシアさん:何も臆することないのに。
真理子さん:こうやって「これができないのは何を不安に思っているからなんだろう?」って突き詰めていくと、「なんだ、何でもないな。じゃあできるな」っていうことになっていきますね。
シンシアさん:悩むより考えることです。自分の悩みを分解して考える。そうすると、漠然と怖いと思っていたものやことが怖くなくなること、よくありますよ。
テレビが言っても当事者が言っても鵜呑みは禁物
――お2人は日頃、メディアやSNSなどから入ってくる情報の取捨選択はどのようにされていますか? 気を付けていることはありますか?
真理子さん:私は何か気になるニュースに接したら、一次情報を探すようにしています。SNS上の個人の言葉もそうですが、メディアも二次情報なので、すぐに全面的に信じることはしませんね。
テレビの取材を受けたけど放送では自分の意図したのと違う編集をされていたという人も身近にいますし、二次情報はある程度、警戒しながら見る必要がある。といって、当事者の言うことなら絶対かというと、それもまた違うんですよ。
人それぞれ感じ方や受け止め方が違うので、前回記事の営業職の話でいえば、「この業界で実際に営業やってる人が『地獄』って言ってるんだからそうなんだろう」と思わないほうがよくて。

シンシアさん:私は、何度目かの転職のときに、在職中に転職が決まったんですが、偶然にも私の転職する予定の会社を辞めて当時の職場で働いていた人が目の前に座っていたんですよ。その人は私が転職予定だということを知らないので、前の職場のことも普通に話すんですが、それがもうすごい悪口で(笑い)。
私もさすがに不安になってしまって、企業側に再面接を申し込みました。そこで「古い体質の会社で変わる気もないという話も聞きますが、どうなんですか?」と疑問を経営トップにぶつけたら、「これから組織改革にまさに取り組むところで」という答えだったので、「だったら組織を変えようとしている証拠を3つ挙げられますか?」とさらに質問して。
その企業は、最新の人事でこのような異色の人材を重要ポストにつけたとか、具体例を示してくれたので、私も納得して転職できました。そして実際、元同僚にとっては最悪の職場でも、私にとってはパラダイスでした。
真理子さん:シンシアさんの元同僚のかたの言うことは当事者からの情報でしたが、結果的にはシンシアさんにとっては真実じゃなかった。そういうことはあるんですよね。何事も合う合わないがありますし、いろんな情報にフラットに接することが大事だと思います。誰の言うことだから絶対だとか、極端なバイアスをかけるべきではないですね。
情報が一つ入ってきてもそれだけで丸ごと信じたりしない
シンシアさん:本当にそうですね。情報が一つ入ってきても、それだけで丸ごと信じたりしない。私は普段、NHKのニュース番組を見ますが、気になるニュースがあれば他局でどう報じられているのか確認します。ものによっては国内メディアと海外メディア、両方チェックしますね。

真理子さん:大事なことですよね。Twitterなんかは拡散力があるので、気を付けたいです。みんなが言っているから本当のことのように感じてしまうことがあると思うので。
2年前にトイレットペーパーが売り場から消えたときも、「トイレットペーパーが品薄になる」という誤情報が拡散されてみんなが不安になって本当に買い占め、買いだめが起きてしまった。同じようなことがもう少し小さい規模で今もたくさん起きているんじゃないかと思うんですよ。
多様な考えに自分から触れにいく
――バイアスの問題でいうと最近は、自分のコミュニティーの中にある情報を信じやすくて、外にあるものは軽視する傾向が強まっているかなと思います。
シンシアさん:だから多様性が大切なんですよ。この前、大手企業の人事部門の相談に乗りました。女性の復職支援のプログラムを設計するという話で。ただ、詳しくは言えませんが、制度がニーズに即していないのではないかと疑問に思う点がいくつかあって、私からはそこを指摘させてもらいました。
なぜ、聡明な人たちがそういうまずさに気づけなかったかというと、自分たちと同じようなバリキャリを作ろうと考えていたからなんです。みんなが同じライフスタイル、働き方を志向するわけじゃないという前提を飲み込めていないと感じました。怖いことなんですよ。自分の周りに自分と同じような人たちばかりがいる環境って。

真理子さん:そうですよね。先ほどはSNSの負の面について話しましたが、私がSNSをやっぱり大事にしているのは多様な考えに触れたいからなんです。物理的に距離があったり、あるいは業種や環境が違ったりする人ともつながれるのがSNSのいいところだと思います。SNS上での交流もできましたし、実際に何人かのかたとはお目にもかかれましたし。病院を辞めて企業でのお仕事を経験したり、フリーランスとして働いたりしたのもよかったと思っています。
人と話すことで自分の中からも新しい言葉や新しい考えが生まれる
シンシアさん:私も、いろんな人と話すようにしています。例えば、シンポジウムに登壇することになったら、開会から閉会まで全てのセッションを聴きますし、懇親会にも出ます。忙しいからといって、自分の出番の直前に来て、講演したらすぐ帰るようなことはありません。聞く耳を持たないと。
真理子さん:会社の知名度や規模、役職、SNSならフォロワー数だとか、そういうものに権威性を感じて、フィルターをかけて見てしまう人が多いので、それに浴してしまう人もまた増えるんでしょうね。私も少なからずそういう面を持っていると思うので、気を付けたいなと思います。
シンシアさん:この取材も、こうやって対談形式にしてほしいと言ったのは、人から学びたいからなんです。一方的に自分の話をしたってつまらないでしょう。人と話すのは面白いし、人と話すことで私の中からも新しい言葉が出てくる。新しい考えが生まれる。それを大事にしたいと思っています。
真理子さん:私はシンシアさんに対しても、“企業の経営トップ”というフィルターをかけてしまっていたと思うんですが、こうして初めて対面してシンシアさんという人間をちゃんと見たら、やっぱり私がフィルターを通して見たシンシアさんではなくて。今日、お話しできて本当に楽しかったです。ありがとうございました。
シンシアさん:こちらこそ楽しかった! ありがとうございます。
◆薄井シンシアさん&井上真理子さん

薄井シンシアさん/1959年、
井上真理子さん/大学卒業後看護師としてキャリアをスタートさせ、看護師経験10年を経て美容業界に転身。美容専門学校教員、ヘアメイク講師、フリーランスヘアメイク、エステサロン受付、注文住宅営業、製薬会社プロジェクト立ち上げ等経験。現在はフリーランスとして経営者の業務サポートや、マネジメント、企画・運営などを担当。
撮影/黒石あみ 構成/赤坂麻実、編集部
●薄井シンシアさんが語る仕事選び「“営業職”にはチャンス」「会社を“選ぶ”意識を持つ」