俳優・香取慎吾が体現する“ヌケ感”が柔らかさを与える
香取さんといえば、2019年に公開された『凪待ち』で粗暴な男を演じ、多くの人々に驚きを与えました。スクリーンに映し出される彼の表情はつねに暗く、発する声色にも恐怖を感じたものです。香取さんが演じたのは言動の一つひとつがろくでもない、かなりのダメ男でした。さまざまなメディアで香取さん本人が見せる快活な姿とは似ても似つかず、そのイメージを一新したといえるものだったのではないでしょうか。
今回の『犬も食わねどチャーリーは笑う』で香取さんが演じる裕次郎も、タイプは違えど明らかな“ダメ男”。基本的にいつもニコニコしていますが、あまりにも鈍感で、悪気なく妻の日和をイラ立たせ、そしてときに傷つけます。つまり、わりとどこにでもいる平凡なダメ男なのです。
この裕次郎を誰がどう演じるのかで本作の手触りは変わってくると思いますが、香取さんの立ち上げる“夫像”は憎らしさだけでなく愛らしさをも感じさせるもの。ユニークな脚本や相手役の岸井さんあってこそのものではありますが、彼が体現する“ヌケ感”が作品全体に柔らかさを与えています。
例えば、『西遊記』(2007年)や『ギャラクシー街道』(2015年)などで数多く演じてきたコミカルなキャラクターたちや、『凪待ち』のときともまた違う、俳優・香取慎吾の新たな顔がここにはあるのです。
ブラック・コメディであり、大人のラブストーリー
本作が描く夫婦喧嘩は深刻さとはほど遠いもので、たしかにブラック・コメディだといえます。であるのと同時に、“大人のラブストーリー”ともいえるものです。
大切な人といるのが当たり前になり、ありがたみが薄れ、やがて相手の変化に気づくことができなくなっていくというのは、夫婦関係にかぎらずよくあること。重要なのは相手の変化に気づいた際、その事実にどう向き合うべきなのかということではないでしょうか。
裕次郎は、日和との闘い方を変えます。それは夫婦喧嘩を続けるためのものではなく、ただ一緒にいるだけで幸せだった、いつかの2人に戻るためのもの。そして、これからもそんな時間を重ねていくためのもの。これが、本作が大人のラブストーリーだともいえるゆえんです。
◆文筆家・折田侑駿
1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun